望月城跡で歴史を感じる眺望。
望月城跡の特徴
望月城跡は滋野氏流の望月氏の居城で歴史深い場所です。
中山道を見渡せる絶景スポットで景色が素晴らしいです。
遺構が残り、アクセスも良好で訪問しやすい史跡です。
まず城跡までの道のりですが、「望月城跡公園駒繋ぎ場」という駐車場の向かいから入ってすぐ、二股に別れた左側の道を道なりに上がると、眼前一面に他人の家の畑が広がり、一瞬入る所を間違えたかと思ってしまいます。その畑の沿道を右回りに越え、幅1mぐらいの細道を上がると展望台のある広場、さらに土塁というか切岸に掛けられた木製のハシゴを上がれば本丸跡まで来られます。展望台以外の場所から町を見下ろすことはできませんが、5月ということもあって清々しい深緑でした。
望月城は滋野氏の流れを汲む望月氏の居城です。望月氏の本拠地は元は少し離れた場所にある天神城だったのですが、室町時代になってから天神城に変わる本拠地として望月城が築城されたと言われています。1543年に武田信玄により陥落し、望月氏は武田氏の配下となりました。武田氏が滅亡してからは1年程に後北条氏と戦い籠城戦となり、和睦をするのですが1582年には徳川軍の依田信蕃が佐久地域の城を攻略を始めると1ヵ月の籠城戦の後に落城となりました。資料によると望月城は2キロにわたる山城であるということです。本郭の場所から望月の総合体育館までが山城の範囲です。特に総合体育館の周辺には複数の砦があり、総合体育館の麓から上がることができます。城跡までは車と徒歩で向かうことができます。車の場合には駐車場が近くにあるので、駐車場からは徒歩になります。徒歩の場合には望月町の商工会議所の裏から川を渡ると遊歩道があるので道なりに山道を上がっていくと20分から30分で本郭のすぐ近くに辿り着きます。本郭に向かう途中には郭の跡を見ることができます。伐採や草刈りがされている場所もあるのでわりと容易に散策することができます。
戦国時代に佐久市周辺で勢力を持った滋野氏一族に属する望月氏の居城、武田信玄の信濃侵攻で戦いの舞台となったことで知られる城郭。五つの郭で構成された巨大山城です。登城口は二つあり、麓の城光寺から登りましたが薮化が激しくて大変でした。もう一つの登城口瓜生坂側からはスムーズに行けます。本丸には展望台がありますが、樹木の成長により、ほとんど眺望もありません。しかし、遺構はしっかり残っており、往時のスケールの大きさを偲ぶことはできます。
望月一帯が一望できます。
中山道を眼下に収める交通の要衝に築かれた山城跡。車で上に登って探索することもできますが、私は望月宿から徒歩で登ってみました。比高は110メートル、大体15分もあれば登れると思います。当地を治めた望月氏は信濃の名族だけあって城の規模はそれなりに大きいのですが、曲輪が段々に積み重なっているだけであまり技巧的な面はありません。とはいえ遺構は綺麗に残っていることと、山上からの景色は蓼科山も雄大に望めます?
眺めいいですよ。途中足場注意⚠
かなり草に覆われていますね。
望月宿から徒歩でも旧トンネルの脇道から車でとどちらの方法でもいくことができます。車でいくようなら、駐車場もあります。武田氏に滅ぼされた望月氏の居城で望月町を一望できる展望台がおすすめです。望月氏はその後、山梨方面へ逃れました。山梨方面に望月という名字が多いのはこれが原因だと言われています。駐車場を過ぎた先には御牧ヶ原を経由して、小諸方面へと抜けます。
特に望月性の方に行っていただきたい。昔ご先祖の方がいた城跡です。(その後山梨西島地域へ)駐車場らしきものもなく、案内板もボロボロでしたが、本丸跡地からの景色は良いです。
名前 |
望月城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.walkigram.net/nakasendo/mochizuki/castle/index.html |
評価 |
3.8 |
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望月姓のかたがたくさん訪問してるようです。碑や展望台を整備してくださっているかたのお陰で安全清潔に訪問出来ました。