米沢城守る格式高い開運稲荷。
開運稲荷神社の特徴
米沢市中央の繁華街に位置する静かな神社です。
上杉氏の歴史と深く結びついた格式の高い場所です。
米沢城三の丸土手の鬼門にあたる神社として知られています。
米沢市の中心部にありますあ。小さな神社ですが綺麗にお手入れされていていました。御朱印は頂けませんでしたが、一度ご挨拶してみると良いと思います(๑u003e◡u003c๑)
創立は不詳だが、上杉氏の入部に伴って米沢に移動したものと見られ、かつてこの地は米沢城三の丸土手があり鬼門にあたる。そのため、鬼門除けのお稲荷様として祀られたと考えられている。祭神は宇迦御魂神。大正六年の1度目の米沢大火に巻き込まれ、その際に髙梨源五郎氏などが再建に尽力し、現在の本殿は大正十年、拝殿は昭和十八年に建立された。髙梨源五郎とは米澤義社や兩羽銀行といった銀行業に関与した人物で、近代米沢の財政を支えた人物。彼を顕彰する石碑が『好是懿徳』という篆題で松岬神社の境内に建てられており、来歴が詳しく書かれている。この開運稲荷神社にも氏の顕彰碑が建っている。以下に判読した原文を書き留める。(改行は原文にしたがう。)「(表)髙梨翁碑 従三位伯爵上杉憲章公篆額髙梨源五郎翁資性英果敬神の念最も篤く夙に地方經濟界の耆宿たり曩に敎育財團興譲館𫝂属の地區に住する者五十餘戸開運組合を結成し相倶に福祉を圖らんとす翁曰く人の世に𠁅する宜く信仰の標的なかるへからすと乃ち相議りて開運稻荷祠を建立せり爾来鄰保相親しみ互に道義を重んして各家運の隆昌を效せるもの畢竟翁の庇護に賴れるものと謂ふへし茲に組合會の議に依り碑を立て以て積年の恵澤に酬いんとす嗚呼翁一代の行藏は小碑の得て悉すへきにあらす僅に一端を録して感懐を表するのみ冀くは翁の遺徳は吾妻の嶺の愈髙く松川の水の愈遠く流芳千載に傳はらんことを昭和六年九月正六位大乗寺良一撰正七位佐藤俊太郎書(裏)昭和六年九月建之 開運組合」写真撮影月 令和2年4月参考文献『米沢の神社・堂宮5 ー中部地区ー』米沢市教育委員会。
紅葉が美しいです。昭和の全盛期「米沢銀座」と呼ばれて賑わった飲み屋街通りの陰に建っている「開運稲荷神社」です。側には400年前に上杉家が築いた外堀が流れています。由緒は不明ですが、元・上杉氏の居城米沢城があった上杉神社の鬼門に位置している土塁に建っているので、もしかしたら直江兼続と直江船による建立かもしれません。祀られているのは、稲と穀物、商売繁盛の女神様 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)です。いわゆる、お稲荷さんの名で親しまれている神様です。大正の米沢大火で焼失して、今の社は昭和になってから再建されました。この地の人々らの団結と家運隆昌を願って、再建に尽力した 高梨源五郎翁 を讃えた碑もあります。再建当時は、周辺で働く人々が訪れて商売繁盛と家内安泰を祈願し続けたのだと思います。その祈りが実ったのか、全盛期には米沢銀座の名に恥じない繁華街を誕生させたのかもしれませんね。今は、ただただ紅葉が美しく。名残りのスナックや居酒屋、平成になってから居抜きで入ったラウンジが近隣でちらほらと営業しています。神社の北側には老舗の鰻屋さんもあります。参拝者が増えて、この地域の商売人達とお客様達が笑顔で戻ってきてくれるといいですね!
米沢城の守り神で格式の高い神社です。昭和40年頃は社務所が敷地の東側に有り、現在車庫になっている西側には杉の立木が並び、手前の方に近所の餡子屋さんが寄贈したブランコがありました。
| 名前 |
開運稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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開運稲荷神社参拝、繁華街の真ん中に静かに鎮座。