田川後藤寺駅の昭和レトロ旅。
田川後藤寺駅の特徴
田川後藤寺駅は、日田彦山線と後藤寺線、 平成筑豊鉄道の発着駅です。
交通の要衝として、筑豊地方のターミナル機能を果たしています。
昭和風の駅舎の雰囲気が魅力的で訪れる価値があります。
JRの日田彦山線、後藤寺線、平成筑豊鉄道(旧糸田線)の発着駅です。後藤寺線は新飯塚とのピストン運行で、日田彦山線は添田方面と小倉方面となります。平成筑豊鉄道は金田や直方行きを運行しています。昔は炭鉱の関係で賑わったんでしょうね。駅から少し行くと商店街があり、もう少し行くと旧バスターミナルの廃墟が残っています。筑豊は内陸ということがあり、振興策というのは難しいんでしょうね。
博多駅から田川伊田駅を目指して、乗換案内を携帯で調べると、博多から新飯塚駅とここ田川後藤寺駅で2回乗り換えと出て📱初の来訪となります。JR線も3方向からの路線と第三セクター路線が集まる駅ですが、田舎の乗り換え駅といった赴きですね~
田川地域における交通の要衝の一つ。JR日田彦山線および後藤寺線、平成筑豊鉄道糸田線の3本の鉄道が乗り入れている。日田彦山線の上り列車のほとんどは小倉駅へ直結。下り列車は全て添田行き。添田駅ではほとんどの列車が日田彦山線BRTに接続しており、日田行きに乗れば夜明駅で久大線久留米方面、日田駅で久大線由布院、大分方面に接続している。後藤寺線は新飯塚駅で福北ゆたか線に乗り換えれば博多駅へのアクセスも可能。平成筑豊鉄道は直方駅(金田で乗り換えの場合あり)へアクセス可能。
ど田舎。駅前にびっくりするほど何もない。ご飯を食べる店もない。駅員もいない、無人駅。駅前には、とても立派な商店街があるが、店は全てシャッターが下りていて、営業してる形跡なし。日曜日の昼間でも、誰一人歩いていない。地方の衰退を感じる。
福岡大回り乗車で一時間ほど滞在しました。JR九州の日田彦山線、後藤寺線、そして平成筑豊鉄道が乗り入れています。横には気動車がたくさん留置されています。ホームにはベンチがありますが、改札内には空調の効く空間はありません。ご注意を。なお、自動販売機は設置されています。平成筑豊鉄道へは、改札口から改札に入り、階段をのぼって奥のホームへ向かう形となっています。バリアフリー化が進んではいないのかな、と感じます。この付近の路線は、本数が少なめに設定されていますので、乗換では、事前に時刻をお調べになることをおすすめいたします。時刻が合うと、学生が通学するシーンも見られます。線路と線路の間には花壇もあり、地域によってとても美しくお花が整備されています。ぜひ一度ご覧いただきたいです。
筑豊地方の一大ターミナルと言って遜色ない駅で、日田彦山線の上下線、後藤寺線、そして平成筑豊鉄道糸田線の3路線4方面が発着する、3面5線の大きな駅です。0番線が後藤寺線、1番線が日田彦山線の小倉方面、2番線が平成筑豊鉄道、3番線と4番線が日田彦山線の添田方面と役割が分かれており、2番線のホームがとても短いです。配線を詳しく観察してみると、0番線から発着する後藤寺線の列車が日田彦山線に入線するような分岐器はない一方で、1番線から後藤寺線に入線できる片渡り線はある模様。紙の時刻表を詳しく見てみると、毎日、新飯塚発の列車で、日田彦山線に入線して添田まで行くものと、この駅でスイッチバックをして田川伊田まで行くものがそれぞれ1本ずつ設定されているようです。おそらく、逆方向の列車も送り込み(回送)であるのでしょうが、後藤寺線は、もともと筑豊本線が電化される前はそちらと運用的にも繋がりが強かったので、このような構造になっているのかもしれません。また、糸田線はかつて国鉄の路線だったことから、日田彦山線小倉方面と糸田線は、この駅を出発した北側で少しの区間だけ線路が一体化して、また分岐しています。故に、別の鉄道会社が乗り入れてることにはなっていますが、一部の線路は共用で使っている、とも言えるでしょう。細かく調べればとても魅力がある駅だと言えます。
小倉行きに乗り換え、1時間待ち。元旦は、商店街も全部閉店。予想通りとはいえ、ローソンまで徒歩8分でした。お昼ごはん難民になりかけました。駅に炭坑節発祥の地の看板、確かにそんな雰囲気と貨物が、かなり止まれる留置線もありましたね。
令和6年4月に訪問田川市の有人駅です。たがわごとうじ、と読みます。駅前と道挟んですぐに有料の駐車場有ります🅿みどりの窓口有ります。が、朝は10時に閉まります。それからは夕方17時まで無人です。夕方17時から19時まで再開されます。JRと平成筑豊鉄道が運行されてます。駅前すぐに交番が有ります🚓
田川後藤寺駅は、JR九州の日田彦山線・後藤寺線と平成筑豊鉄道の糸田線の駅です。明治29年(1896年)後藤寺駅として豊州鉄道が開設しました。明治40年(1907年)国有化され帝国鉄道庁(田川線)が所管となりました。大正5年(1916年)駅舎が改築されました。大正11年(1922年)赤坂駅〜起行駅の間を開業した九州産業鉄道(後の産業セメント鉄道)が乗入を開始しました。昭和18年(1943年)産業セメント鉄道が戦時買収により国有化され後藤寺線に編入されました。平成元年(1989年)糸田線が平成筑豊鉄道に転換しました。平成9年(1997年)鉄骨平屋建ての駅舎に改築されました。昭和57年(1982年)現駅名の田川後藤寺駅に改称されました。平成21年(2009年)平成筑豊鉄道の駅にネーミングライツにより「MrMax」の愛称が付きました。単式ホーム1面1線が2つと島式ホーム1面2線、また1番線の北方を切り欠いた切欠きホーム1線、合計3面5線のホームを有する地上駅で、田川伊田駅と並び田川市の中心駅の位置づけとなっています。駅舎は、平成9年(1997年)に改築された鉄骨造平屋建てで、旧駅舎の約半分の大きさになっています。令和6年(2024年)度の1日平均乗車人員は、JR九州が816人で、平成筑豊鉄道が440人と、田川市の中心の駅としてはかなり少ないです。駅前もシャッター商店街で閑散としています。駅名にもなっている「後藤寺(ごとうじ)」という地名は、かつてあった豊前小倉藩の田川郡(たがわぐん)後藤寺村に由来します。明治20年(1887年)後藤寺村・宮尾村が合併して、奈良村が発足しました。明治22年(1889年)奈良村・弓削田村・川宮村が合併して、改めて弓削田村が発足しました。明治40年(1907年)弓削田村が町制施行・改称して後藤寺町となりました。昭和18年(1943年)伊田町・後藤寺町が合併して田川市が発足しました。
| 名前 |
田川後藤寺駅 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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昭和の駅という表現がありますが、駅舎だけ 昭和っていうことがほとんどです。しかしこの駅は、駅員さんがいて 窓口で切符を売っていて、1時間に1回4方向からディーゼルカーが集まってきて、出発していくなど、運用のスタイルも 昭和です。集まってくる車両も キハ40系列。駅前の雰囲気も含めて全てが 昭和という日本で唯一無二の駅でしょう。