文京区の歴史と遊郭を感じる。
洲崎遊廓追善供養歌碑の特徴
東陽町1丁目に佇む洲崎遊廓追善供養歌碑は、歴史が感じられる。
明治21年から続く洲崎遊郭に関する貴重な碑である。
公園内に位置し、文化的な価値が高いスポットとして知られている。
『洲崎遊郭開始以来先亡者追善供養の碑』とも『白菊の碑』とも言われておりますが、東陽町1丁目は明治21年(1888年)〜昭和33年(1958年)まで、洲崎遊郭(戦後は『洲崎パラダイス』)でした。昭和6年(1931年)11月9日に『洲崎遊郭開始以来先亡者追善供養』が執り行われ、信州善光寺大本願119世大宮智栄上人が詠んだ歌が碑に刻まれております。《碑文》白菊のうてなに匂ふ秋の夜は洲崎の名こそわすられぬべき《意味》白菊の花が清らかに香る秋の夜、洲崎(洲崎遊郭)の名はいつまでも忘れられることはないだろう(遊郭の女性たちの哀しみや人生をしのび、その存在を後世に伝えるために歌われた)歌碑は洲崎三業組合が建立、現在は東陽町一丁目第二公園の一角に建っています。(隣の都営アパートの外塀がいい感じにくたびれています)
東陽一丁目第二公園内にある洲崎遊廓追善供養歌碑です。---「東京名所帖 洲崎」(井上安治)井上安治が洲崎を描いています。時計塔が見えます。根津から移転直後に描かれたものでしょう。
2025年2月訪問小さい公園の片隅に石碑が立っている。歌碑であるが和歌は達筆により当方は判別不能。歌に続き下記が刻まれている。昭和六年十一月九日信州善光寺大本願大宮尼(公)台下御親修洲崎遊郭開始以来先亡者追善供養執行紀念洲崎三業組合建之。
| 名前 |
洲崎遊廓追善供養歌碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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