大胡城跡の歴史を感じる!
大胡城跡の特徴
大胡駅から徒歩15分、アクセスも良好です。
大胡城跡は戦国時代に築城された歴史的な場所です。
本丸・二の丸が良好な状態で残っており、見ごたえがあります。
江戸の早い段階に廃城になった割に、跡地が再利用されなかったおかげが本丸・二の丸は改変が少なくかなり良い状態で残っている。とくに空堀の深さと本丸枡形のあたりは見応え十分。へたに整備せず、このまま残ってほしい隠れた名城と思う。
徳川譜代大名、牧野氏の居城跡です。大胡藩は2代で廃藩となり廃城になってしまいましたが、戦国乱世期には由良氏や上杉氏、北条氏等の領地争いに晒された地でもあります。近年、大変良く整備されており牧野氏期の物と言われる城郭遺構が見やすく見学出来ます。車で二の丸へ入れますがトイレはありませんので済ませてから登城しましょう。石垣を用いた枡形虎口が素晴らしいです。本丸の土塁のデカさもまた迫力があります。私が訪れた直前に草刈りされたようで非常に快適な登城が出来ました♪今後も遺構の存続に尽力願いたい物です。
2019/4/7ほんとうに前橋市の西側に点在する城群は素晴らしい。この大胡城本丸よりも南側にも曲輪があったようだし、更に道を隔てた北側にある大胡神社あたりも曲輪であったようだ。元々西の方にある養林寺から大胡氏が移ってきたということだが、東西を天然の水堀である川に囲まれた天然の要害。本丸周辺の空堀や土塁等とてもよく遺っており、何度も行きたい城の一つ。
戦国中期に大胡氏により築城され、上泉氏、上杉氏、北条氏と城主が転々と変わり、牧野氏の転封で江戸初期に廃城になった。南北に長い丘陵に造られた連郭式の城で、本丸を中心に二の丸、三の丸、4の丸などが配され、東側を荒砥川が流れている。本丸跡には、社殿が鎮座し、巨大な石碑などが立ち、周囲の高々とした強固な土塁には、何本かの巨木が聳え、北側には赤城山がそそり立っている。本丸と二の丸の間を遮る深い堀、桝形虎口なども顕著に残り、城跡の雰囲気を満喫することが出来る。三の丸には前橋市市役所大胡支所がある。ちなみに、城内には中世から二宮赤城神社の別当寺の玉蔵院があった。大胡城、牧野氏まつりが隔年開かれている。🅿️あり。🚻なし。
おおご城。藤原秀郷流大胡氏が平安末期に土着し鎌倉御家人であった。牧野康成が家康により関ヶ原後一時番城となる。1616年酒井忠世に与えられ1749姫路転封まで続き以後廃城となる。現状は牧野氏、酒井氏の遺構で丘の中心に本丸、北側に越中屋敷、近世曲輪、西に二の丸、玉蔵院曲輪、風呂川南に三の曲輪、四の曲輪がある。本丸は一辺約80m正方形の郭で北東隅、南中央に虎口がある。南、西側の土塁残存。二の丸の虎口西は桝形門虎口で石積みも遺構がよく残存している。(以上群馬県の中世城館跡参考)夕方で暗くなりそうなのでいそぎで見学しました。城入口に案内板がありすぐにトンネル、車で通過して上がると主郭、説明板。まず桝形虎口の石積み残存が良く、本丸側も土塁、堀なり徒歩で進んで土塁に囲まれた本丸虎口こちらは石積なし。本丸中央部には石積で横に少し段差あり。良い城だと思います。暗くなり撤収、もう少し時間が。
群馬県でいちばん好きな城跡。こういう「土の城」はよき。秋晴れの良い日に行けて、下草も刈られ歩きやすい。堀の深さは凄まじい。ただ、初めてくる人は中々ほねが折れる。わかりにくいし図を見れば分かる通り、現在の通路は昔の堀の底に沿って二ノ丸に入る。虎口の位置から察するに裏手の本丸に入る道が昔とは異なり土塁を破壊させて出来た道であろう。石段の道は正規の城門である。他の方のクチコミは違うと論じているが、図をみれば一目瞭然なので、勝手な推論を云うのは止めてもらいたいものだ。
大胡駅から徒歩15分くらい。荒砥川沿いに北にある赤城山方面に向かえば、二の丸への入口に到着する。二の丸では見事な枡形虎口、本丸との間の空堀や土塁を堪能できる。本丸へは2箇所の虎口から入れるが、改変されている為、昔日のままではない。本丸からの景色は最高!東側が石積みで補強され一段高くなっている。東側を除いて本丸を囲んでいる土塁の高さに感動。土塁は石積みで補強された跡があり、登ってみると高さを実感できる。北側には横堀、水堀がわりの小川、その先に現在幼稚園の北城(越中屋敷)を望むことができる。北城(越中屋敷)の更に北側には大胡神社(近戸郭、或いは近戸出丸)がある。神社の背後に土塁や見事な空堀がある。三の丸は二の丸の南西の川向こうにあったようで、現在のプールやテニスコートのあたりか?市街地化しているが、牧野氏時代はかなり大きな城だったように思う。それ以前は本丸、二の丸辺り程度の規模だったのだろう。よく土塁や堀が残っていて、見応えある城跡でした。
| 名前 |
大胡城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
027-280-6511 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.maebashi.gunma.jp/bunka_sports_kanko/7/3/11371.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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荒砥川側から進みトンネルを潜って登った先の二の丸が駐車場。深い堀切と高い土塁の先が本丸。ここにあるのは何かの社殿と慰霊碑のみだが眺望は極めて良い。堀切を挟んで北側が真木越中のいた越中屋敷という曲輪、そのさらに北が大胡神社のある近戸曲輪。二の丸の南側には三ノ曲輪・四ノ曲輪・西曲輪があった。最初の大胡城城主大胡氏は藤姓足利氏の流れ。上泉氏・那波氏・赤堀氏・山上氏・園田氏といった近隣の土豪は同族。横瀬氏に攻め込まれて江戸の牛込に移り牛込氏を称した。代わって横瀬家臣益田氏が大胡城主となる。横瀬改め由良氏が後北条氏に寝返ると上杉謙信は大胡城を厩橋城主北条高広に与え、高広は親族の大胡高繁を大胡城主とした。天正10年、北条高広が後北条氏に屈服し大胡に退去するに伴い大胡高繁は後北条氏麾下となる。豊臣の小田原征伐により高繁は領地を失う。大胡には牧野康成が入部するもやがて前橋藩領となり廃城となった。