江戸城の息吹を感じる赤坂見附。
赤坂見附門跡の特徴
赤坂見附門跡は江戸城三十六見附のひとつで、歴史を感じられます。
高層ビルの中に残る江戸の石垣は、訪れる価値があります。
地下鉄南北線出口9aからのアクセスも良好で、案内板があります。
江戸城三十六見附の一つです。90以上あったとされる江戸城の外郭門の一つです。見附が示すように純粋な軍事目的の建造物で、四六時兵士が詰め警護に当たっていたようです。1636年(寛永13年)黒田忠之による天下普請で石垣が完成し、1639年(寛永16年)に門が完成し見附として稼働し始めました。そして建造物は1871年(明治4年)、石垣は1897年前後(明治30年代)にそれぞれ解体・撤去されました。で、現在残るモノは撤去されなかった「ごく一部」なのです。ところで江戸市中には木戸と呼ばれるモノもありました。「八百八町」の各町境に設置されていた木製の門で、こちらは民生用のセキュリティ装置でした。夜間にそれは閉められ、許可された人以外は原則として通行ができませんでした。その横に木戸番と呼ばれる番人が24時間体制で駐在して、こちらも通行人の監視や不審者のチェックを行っていました。ただしあぶれ者・はぐれ者がその役を担っていたようで町民からは尊重されていなかったようです。因みに半蔵門も三十六見附の一つです。半蔵門は服部半蔵がこの近くに屋敷を構えていたからこの名がついたとも、「山王祭」の時「象の山車」が大きすぎ、この門をくぐれなかったからとも伝えられます。2026.6.8
江戸城の外郭城門の一つ。首都機能が集中するエリアに残る歴史的遺構!石垣は筑前福岡藩の黒田氏が築いたとある。
地下鉄南北線 出口9aから坂降りてく途中に看板見つけるもう、ビルとアスファルト道路だらけだから気付かぬが!江戸の歴史に引き戻される場所が東京にはあちこち存在する✨
高層ビルの足元に 江戸の石垣が残っているなんて ロマンですね 最近TVで特集有 自分の目で見たくなり立ち寄りました。凄いスケールです。
2018.11.20先日、日比谷見附跡をみて、今回は地下鉄の駅もある赤坂見附へ見附とは人の往来を監視する城門。
永田町駅9a出口の地上にある赤坂見附門跡の案内板です。江戸城外堀跡 赤坂御門の案内板がすぐ横にあります。---赤坂門は1636年(寛永13年)に、筑前福岡藩(現在の福岡県)の藩主である黒田忠之により築造されました。門の名称は、外側の赤坂を監視することから名づけられました。この門は江戸城のひとつの大手門(大山街道)の出発点となっており、大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)や大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)を参詣する江戸の人々で賑わいました。櫓などの建造部分は1871年(明治4年)に撤去され、石垣も明治30年代に撤去されました。赤坂見附から半蔵濠にいたる堀や土手の遺構は、1956年(昭和31年)3月26日に、江戸城外濠跡として国指定史跡、文化財指定されています。
福岡藩により造られました。ダイナミックな枡形の石積を間近に見学ができます。
| 名前 |
赤坂見附門跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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千代田区紀尾井町。江戸城外郭門の一つ赤坂御門(見附門)の遺構で国の史跡に指定されています。丸の内線の赤坂見附駅の名前の由来です。1636年に福岡藩主・黒田忠之によって石垣が造られ、1639年に御門普請奉行の加藤正直・小川安則によって門が完成しました。この門は江戸城に侵入する敵を発見する役割から“見附”と呼ばれ、2つの門が直角に配置された枡形門の特徴がありましたが、門そのものは明治時代に撤去され現存していません。ただし、皇居に残る田安門や桜田門が桝形門の形式を留めているので、かつての姿が想像しやすくなっています。また、この門は今の神奈川県の大山に参拝する大山道の重要地点でもありました。