金玉落としの谷で冒険を!
金玉落としの谷の特徴
金玉落としの谷は横地城跡に位置する印象的な史跡です。
アクセスには工夫が必要で、荒い道を通ることがあります。
晩秋から初夏までが散策には最適な季節です。
低い山なのに急な坂がある。グ-グルマップに載っているくらいだから由緒ある谷だろうと訪問。車1台がやっとの尾根道をしばらく進み看板を発見した。城廓の一部として掘られただろう谷の名前だった。戦の訓練で金の玉をここに落としたと説明があったが、本当だろうか?むしろ、この坂を転げ落ちた足軽が、怪我はないかと体を探ったら金玉が一つしか触れなかったというほうが真相かも。ちなみに私はここで財布を落としました。
金玉落としの谷ということで、興味をそそられ行ってきました。謎に生について考えさせられる場所でした。とても良い場所なのでたまに行ってみるのもいいと思います。あ、金玉とかけてるわけではありませんよ。^_^帰りに近くの居酒屋で金金あ、キンキンのビールを飲んでみるとより良いでしょう。あ、金玉とかけてるわけではありませんよ。^_^
夏場は 蚊が凄いので晩秋から初夏までが散策適期かとおもいます。【金玉落としの谷】という珍名を登山系のsnsに上げるネタのつもりで寄りましたが、思いの外 整備もされており野草や野鳥に癒やされながら、のんびり散策させて頂く事ができました。時間のある方なら丹野池からのんびり 散策もいいコースだとおもいます。(僕はそうしました)
横地城の城内にあり、金の玉を落として拾ってきた勇者に褒賞を与えていたとされている谷。
城兵戦闘訓練で兵隊たちが膝をついて待機し、太鼓の合図とともに金の玉を落とした。兵は(それを合図に)一斉に一度、尾根に駆け上がり、また谷に下って金の玉を探して探し当てたものは再び尾根に駆け上がって賞をもらったというゲーム的訓練が行われたところ。賞は何だったんだろうと想像してしまう(失礼)。名前が名前だけに行ってみたくなりますよね😊
金玉落としの谷「別名・金玉落とし膝つき谷」所在地 静岡県菊川市東横地(横地城跡)訪城日 2022/8/19最初、見たときは何か恐ろしい、いわく付きの場所か?なんて思いましたが、来てみたら、ただの訓練場との事で「ほっと」しました。谷の名の由来は、かつて城主の横地氏が二の丸から太鼓を合図に、谷に向かって木の玉を落とし、下方の谷底で膝をついて待機していた城兵が一斉に玉を探しながら谷を登り、見つけた者に褒賞が与えられた、という山岳訓練を行っていた事に由来する。木の玉が「金玉」になり、谷底が「膝つき谷」になったらしい。この伝承の山岳戦訓練を模した、イベントが「横地城跡桜まつり」の中で行われてきた。二の丸から、金色のゴムボールを数個落とし、膝つき谷で待つ子供達が取り合う、というものでコロナ前の、2019年までは毎年行われていた様だ。
他の投稿者様が指摘されていますが、県道245から慧眼寺に入る道路を奥へ進んで、駐車場に至る道が無難です。自動車では道が狭く、脱輪すると金玉どころか全身で落下します。真面目な話、攻撃のために下から来た兵は、この地形に阻まれて十字砲火を受けます。
2021/12/22 横地城跡 駐車場から歩きで15分くらいで着く。道の左右の谷は深い。名前の由来について、『菊川むかし話』という書物のp102-103を読むと2つの説が書かれていた。思っていた意味と違った。・牛池に住む大蛇が馬に姿を変え悪さをしていたところ、横地太郎が『金玉おどし(金の玉を紐で通して綴った)』の鎧を身に着けて馬の姿をした大蛇を退治したから。・山岳戦の訓練のため、この谷に『金玉』を隠し、隣の谷からこの谷に隠した『金玉』を探す訓練をしたから。また、この谷の西の谷を『膝つきん谷』というらしい。
金玉落としの谷(きんたまおとしのたに)、または金玉落とし膝つき谷(きんたまおとしひざつきだに)は、静岡県菊川市の横地城跡にある谷。谷の名は、かつて城主の横地氏が、二の丸から太鼓を合図にこの谷に向かって玉を落とし、下方の「膝つき谷」にて膝をついて待機していた城兵が一斉に玉を捜索しながら谷を登り、見つけた者には褒賞が与えられた、という山岳戦訓練を行っていたことに由来するという。「金玉」は「木の玉」の転訛ではないかとの説もあるが、いわゆる珍地名の一つといえる。この伝承の山岳訓練を模したイベントが横地城跡桜まつりの中で毎年行われている。イベントは横地城跡にて行われ、金色のボールが二ノ丸跡から落とされ、子供たちが崖下にて取り合う。
名前 |
金玉落としの谷 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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どういう意味かと思ったら金の玉を落としてその玉を昇り下りして訓練したという谷とのこと。