可睡斎護国塔で歴史を感じる。
可睡斎護国塔の特徴
日露戦争の戦没者を祀る慰霊塔です。
明治44年に完成した歴史ある建造物です。
徳川家康の教育を受け持った和尚が歴史に名を刻みます。
今川義元の人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)の教育を受け持った可睡齋和尚が住職を務めた、萬松山可睡齋という曹洞宗の寺院に、日置黙仙、久我通久、大島義昌、板垣退助、伊藤博文、大隈重信、東郷平八郎、大山巌、田健治郎、神谷傳兵衛らが役員となり建設した『日露戦役紀念護国塔』(日露戦争の忠魂碑)。本格仏塔(ストゥーパ)形式の貴重な建造物で、高さ17.1m(静岡県指定有形文化財)、明治39年1月発起、同44年完成。明治天皇より御下賜金300円を受け、住友吉左衛門や当時の錚々たる名士が加わって建設が始まったが、神谷傳兵衛は、出資最高額の1500円であったが、最後の建設費用壱万円が足らず、結局これも神谷傳兵衛が私財より補填して完成。神谷傳兵衛は日本最初の本格的ワイナリーである「牛久シャトー」のオーナーで、日本初の洋風BAR「神谷バー」や「電気ブラン」の創始者。この塔は日露戦争の忠魂碑として建設されたが、現在は日清戦争、日露戦争、支那事変、大東亜戦争の英霊らも奉られている。
県指定文化財です。
名前 |
可睡斎護国塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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可睡斎護国塔(かすいさいごこくとう)所在地 静岡県袋井市久能字張ヶ谷2913-4県指定有形文化財・建造物訪問日 2022/9/9日露戦争の戦没者八万余柱を祀る慰霊塔で、時の住職・日置黙仙師の発願により、明治44年完成。明治建築界の権威、伊藤忠太博士設計、佐野利器工学士、現場監督による明治末期の典型的な洋風建築である。インドその他の国の、古制を巧みに取り入れた塔は、南面花崗岩積二重基壇、正面手摺付き石階、鉄筋コンクリート造り円形ドームである。1978年3月24日に、県指定有形文化財・建造物に指定された。