苔に紅葉を映す西明寺の美景。
西明寺の特徴
承和元年に開創された歴史あるお寺で、苔と紅葉が美しいです。
湖東三山の一つで、紅葉時期に訪れる価値があります。
本堂では丁寧な解説があり、国宝三重塔も拝観可能です。
立派な庭に苔が曖昧見えて風情を感じる景色でした。本堂には立派な仏像がありこちらも見ごたえがあり、お寺巡りには是非訪れて欲しいと思いました。
滋賀県の琵琶湖の東側の寺院(天台宗)湖東三山のひとつです。それは、綺麗で美しい、お寺さんです。受付を入り右手を望むと石段が上へと続き、その先には四天王のうち西方位の守護神の広目天と北方位の守護神多聞天が守る、二天門。そしてその上に国宝の本堂、国宝の三重塔があります。その石段の周囲には美しい木々。伺った日は雨が続いた後の、驚く程の晴天。秋には紅葉が美しい木々が春の新緑。いわゆる青モミジです。凄く綺麗でした。驚いたのが苔が綺麗なライトグリーン。こんなに綺麗で美しいと思ったのは初めてです。雨上がりのお陰です。本堂と三重塔の重厚な造りと周りの木々との一体感、鳥や風、梵鐘の音。本堂内で、詳しいお話を、お坊さんにお伺いさせていただきました。御仏像さんの事、お庭の事など。お庭は紅葉も美しいですが、秋から翌春まで咲く不断桜(冬桜の一種)が、とても美しいそうです。紅葉の終わり、散り紅葉の緋の絨毯と可憐な不断桜の対比は見事かと思います。三重塔の中の特別拝観、本堂内部後陣の特別拝観は、お寺さんのHP等を参考にされると良いと思います。またいつか来させていただきます。秋以降に。ありがとうございました。
わかりやすく西明寺の歴史と感想を(さいみょうじ)●歴史●・834年 開創・1200年代前半頃 本堂建立・1275-1332年頃 三重塔建立・1407年 二天門建立・1429年 二天王立像安置戦国時代の1571年、織田信長による焼き討ちの被害に遭いますが本堂、三重塔、二天門・二天門立像はその被害を免れたとの事●感想●金剛輪寺の後に訪問どちらも入山料800円ですがこちらは手入れが行き届いており、本堂内に歴史を近く感じられて満足度は非常に高かった本堂内の柱は創建当時のもの(推測)だそうです使い込まれてスレて傷んだ木材がその長い歴史を物語っておりました。
「西明寺」金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の一つに数えられる天台宗の古刹です。「日本の最も美しい場所」にも選ばれた景勝地としても有名で今は新緑がしても素敵です。本堂と三重塔は鎌倉時代の代表的な建築として国宝に指定されいます。入館料は800円。駐車場は無料。2カ所あって本堂に近い駐車場に停めました。・「由緒」西明寺には全国に複数ありますが、代表的な滋賀県甲良町の龍應山西明寺の由来は、平安時代の承和元年(834年)に三修上人が仁明天皇の勅願により開創し、祈願・修行道場として栄えた寺院で、戦国期の兵火を免れた本堂・三重塔・二天門が国宝・重文として今に伝わっています。・「蓬莱庭」国指定名勝の池泉庭園で、鶴亀の島や仏を象った石組みにより浄土世界を表現した庭です。苔とモミジの対比が美しく、特に紅葉期には1000本近いカエデが庭を彩ることで知られます。・国宝「三重塔」鎌倉時代建立の総檜造・純和様の国宝塔で、初層内部に極彩色の金剛界三十二菩薩などが描かれた、日本でも屈指の優美な三重塔。織田信長の焼き討ち(1571年)でも焼失を免れています。構造:木造三重塔、総檜造、純和様で釘をほとんど用いない伝統工法。・重文「二天門」室町時代建立で国指定重要文化財の山門で、本堂前に建ち二体の二天王像を安置。二天門には重文の二体の二天王立像(持国天・増長天)が安置されています。像は室町時代作とされ、高さ約2mの力強い作風が特徴です。・国宝「本殿(瑠璃殿)」湖東三山の一つ西明寺に建つ国宝「本堂(瑠璃殿)」で、鎌倉時代建立の和様仏堂建築を代表する方形七間堂の仏殿。平面は方七間の仏堂で、和様の手法で統一された鎌倉期仏堂建築の優れた例と評価されていまいす。仁明天皇の勅願により三修上人が開創した寺の中心伽藍として整備。「国宝第1号指定」の一つとして知られています。堂内では住職さんが詳しく解説をしてくださいました。本尊の重文の薬師如来様は秘仏です。脇侍の日光・月光菩薩様と頭に干支の彫刻を乗せている12神将と重文の多聞天様・広目天様が拝観できます。本堂裏に重文の「快慶作とされる阿弥陀三尊像」などが所蔵されていて特別拝観時に観れるようです。
西明寺は琵琶湖を挟んだ天台宗総本山比叡山延暦寺の対をなすような存在信長の焼き討ち時には門前で比叡山から逃げて来た僧たちも共に大きな焚き火をあげて本堂が燃えているようにプレゼンをし国宝となっている本堂を守り抜いたと伝えられる荘厳な本堂の中には四天王をはじめ重要文化財が多く安置されています。比叡山から持ち帰ったものも多いようです湖東三山の中でも最も古きを保ち後世に伝える西明寺、素晴らしいです中野住職もご丁寧に教えてくれる気さくなご住職です。本堂でお会いできれば幸運です。
国宝第一号に指定された鎌倉時代初期建立の本堂と同後期建立の三重塔が見事です。その他にも重要文化財の像が多数あり見応えがありました。湖東三山として秋の紅葉は有名ですが国指定の名勝庭園の「蓬莱庭」は四季それぞれの景色がありいつ訪れても良い所だと思いました。戦国時代に織田信長が比叡山を焼き討ちした後、当寺も焼き討ちされたそうですが幸にもその災いから免れた本堂、三重塔、二天門は今も現存していました。
西明寺の蓬莱庭園(名勝)を見たくて訪問庭園は江戸時代に望月友閑(もちづきゆうかん)が小堀遠州の庭を手本にして作庭したといわれる遠州流 回遊式庭園。庭園入口を入ると心字池と斜面に広がる築山が目に飛び込んできました。こんな庭園を見たことがなかったのでうれしさで笑顔に(笑)池の中には鶴島と亀島が石組で表現されています。探してみたら鶴と亀がいました♪その後サツキの刈込みや庭石のある斜面を上へ登って行くと美しい苔の世界が一面に広がっていました。はじめてみる景色に感動!そのまま上を目指すと立派な二天門(重要文化財)がお出迎え。二天門は室町時代に建立され両脇に増長天(ぞうちょうてん)持国天(じこくてん)を祀っている。彫刻は院尋の作。大きなわらじが印象的。お寺にわらじ?とは?調べてみたら主に魔除けを意味しているそうです。二天門をくぐると正面に本堂、左手には三重塔(総檜)がすごい存在感を保ち建っています。その姿は圧巻!本堂と三重塔は国宝でもあり鎌倉時代に建立されたとし釘を一本も使わない純和風建築。今回はおにわ目当てで訪問しましたが、建造物にもはまりそうです。紅葉の季節ではなかったですが、それでも充分に堪能できる素晴らしいお寺でした。鐘も鳴らせます♪
【2025.11.23 訪問】7~8年前に一度行ったきりで、2度目の訪問になります。紅葉シーズンで、朝早くから観光バスで来られてる人も多かったです。本堂では、住職さんの説明聞かせてもらい、とても勉強になりました。せっかく行ったのなら時間作って、必ず聞いてもらいたいですね。春秋のみ拝観できる本堂後陣仏像群特別拝観もしてきました。こちらは入山料とは別途料金になりますが、それでも、聞いてみるととても面白かったです。入山料は、大人800円。駐車場は、麓の307号線道向かいにあるところは無料です。
湖東三山巡りの定期観光バスで訪れました。平安時代初期三修上人の創建の天台宗のお寺。三修上人は、修験道の霊山として知られる伊吹山(滋賀県・岐阜県の県境にある)の開山上人と伝えられる半ば伝説化した行者である。伝承によれば承和元年(834年)、琵琶湖の西岸にいた三修は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修がその池に祈念すると、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将が出現したという。三修に帰依していた仁明天皇はこの話を聞くと、その地に勅願寺として寺を建立するように命じた。承和3年(836年)には仁明天皇により寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。元亀2年(1571年)、織田信長は延暦寺の焼き討ちの際、比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も焼き討ちの運命に。しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やして、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。江戸時代に入り、天海によって12石が供物代として与えられ、公海や望月友閑により再興された。さらに将軍徳川家光によって30石が朱印地として認められるなどの庇護を受けて徐々に復興し、近代に至っている。…のだそうです。いきなり、入口から「紅葉づくし」...紅葉のトンネル、行けども行けども、紅葉🍁に迎えられ幸せな気分でした。国宝の本堂、三重塔も立派で見ごたえがあります。
| 名前 |
西明寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0749-38-4008 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 8:30~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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西明寺(さいみょうじ)は、滋賀県犬上郡甲良町池寺にある天台宗の寺院で、山号は龍応山(りゅうおうざん)。ご本尊は薬師如来様です。金剛輪寺、百済寺とあわせて湖東三山の一つとされます。現存する本堂、三重塔は鎌倉時代に建立されたもので、国宝に指定されています。源頼朝が戦勝祈願で訪れたと伝わるように、鎌倉時代初期にはかなりの規模を誇る寺院だったようです。国宝の本堂、三重塔はもちろん、延宝元年(1673)に望月友閑が築庭した本坊の池泉回遊式庭園も素晴らしく、一見の価値があります。寺伝では、平安時代初期に三修上人(さんしゅうじょうにん、829-899、慈勝上人)の創建とされます。三修上人は、修験道の霊山である伊吹山(滋賀県・岐阜県の県境)を開山したと伝えられる伝説の行者です。戦国時代の元亀2年(1571)には、織田信長による延暦寺焼き討ちに遭いますが、山門近くの建物を激しく燃やして全山焼失したと見せかけて、境内奥の本堂や三重塔は焼失をまぬがれたそうです。その後は荒廃していましたが、江戸時代の慶安元年(1648)には、将軍徳川家光の寄進を受けるなどして徐々に復興しました。令和2年(2020)の赤外線調査で、本堂の西柱と南柱に、飛鳥時代に描かれた菩薩立像の柱絵が4体ずつあることが明らかになり、創建時期が寺伝より大きくさかのぼる可能性が出てきました。ご本尊の薬師如来は、比叡山延暦寺の根本中堂に祀られているご本尊の薬師如来と向き合うように安置されているそうです。