吉良上野介の裏門跡を歩こう。
忠臣蔵[31] 吉良邸裏門跡の特徴
周辺の橋の名称や歴史的な背景を知ることができ、学べるスポットです。
古地図をもとに、広大な旧吉良邸の範囲を実際に歩いて楽しめます。
吉良上野介の屋敷があった裏門跡で、討ち入りの歴史を感じられます。
元禄15年12月14日、大石内蔵助の息子・主税(ちから)率いる24名が、この裏門を叩き壊して邸内へ侵入しました。【激闘の跡地】当時は「なまこ壁」に囲まれた広大な屋敷でしたが、この裏門からの侵入により吉良側は挟み撃ちの形となりました。約1時間にわたる壮絶な戦闘が繰り広げられた歴史的な場所です。現在は静かな通りに高札が立つのみですが、正門跡からここまでの距離を歩いてみると、当時の吉良邸がいかに巨大であったかを改めて実感できます。
風さそふ 花よりもなほ 我はまた春の名残を いかにとやせん。
特に遺構は何もなく、説明板が有るのみです。往時を偲ぶことは難しいです。
大石主税らが侵入した裏門跡、今は説明の立て札しかありません。
両国駅から徒歩5分程度でしょうか。説明書きしか残っていませんので、GoogleMapで場所を確認していかないとたどり着きにくいかもしれません。正門跡とこの裏門跡を巡ると、吉良邸の広さがわかり、古へのイメージが湧き、江戸時代へ遡ったような感覚を覚えます。是非、訪れてみることをおすすめします。
吉良上野介の屋敷の裏門があった場所です討ち入りの時に大石内蔵助ら二十四名がこの裏門を破って入ったとされます説明板に載っている古地図(尾張屋清七版 江戸切絵図)に旧吉良邸の範囲が赤枠で、裏門が赤矢印で示されています今の地図と照らし合わせると赤枠の右上隅(北東)の辺りに本所松坂町公園があり[吉良邸跡]として遺されています忠臣蔵などで「広大な吉良邸の中を云々、、」等の表現がよくありますので、この裏門跡から本所松坂町公園までを邸内に入ったつもりで路地も含めて実際に歩いてみましたが、めっちゃ広かったです(おすすめです←)また古地図を読むのも楽しいです現在の「一之橋」「二之橋」はそれぞれ「一ツ目の橋」「二ツ目の橋」と呼ばれ(そのままですね笑)、間に架かる「塩原橋」「千歳橋」は後から架けられたのが分かり「四番目の橋なのになぜ二之橋?」の謎も解けました忠臣蔵[31]【吉良邸裏門跡】(説明板より)吉良邸の裏門はこの辺りにありました。赤穂浪士討ち入りの際、裏門からは大石主税以下二十四名が門を叩き壊して侵入、寝込みを襲われ半睡状態に近い吉良家の家臣を次々と斬り伏せました。吉良家にも何人か勇 士がいましたが、寝巻き姿では鎖帷子を着込 み完全武装の赤穂浪士には到底敵わなかったようです。広大な屋敷の中で一時間余り続いた討ち入りは、壮絶なものでしたが、吉良家側の死傷者が三十八名だったのに対し、赤穂浪士側は二名が軽い傷を負っただけでした。墨田区。
| 名前 |
忠臣蔵[31] 吉良邸裏門跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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マンションの共用部分に説明板があるだけです。