近鉄湯の山線西で特別な体験を!
| 名前 |
桜神社の碑(桜神社旧跡) |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.sakuracom.jp/~kyoudoshi/9-sakurajinja/sakurajinja.html#3kanshi |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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近鉄湯の山線西に位置。綺麗に維持・管理されている旧蹟です。※説明板が建立されていましたので、説明文を引用しご紹介します。(※駐車場はありません)【桜神社跡の碑】昔、この石碑から東へ一八〇坪の境内を有する桜神社があり、桜一色村の産土神(うぶなすがみ)であった。正殿に須佐之男命(素戔鳴尊=すさのおのみこと)を、別殿に木花之開耶姫(このはなのさくやひめ=木花佐久夜毘売命)が祀られていた。永禄年間(一五五九~一五六九)兵火によって焼失したが、その後再建して桜宮または天王社と称した。此処の字名(あざめい)を武佐(ぶさ)というのは祭神の須佐が転じたものであり、農業・開拓の守護神、素戔鳴尊の名は桜一色村の開墾地、天王平(桜中学北)にもある。また、桜中学南方を神田平(かんたんひら)と呼ぶのは貢献の供物を栽培した地である。碑文を書いた山田直行は桑名藩主な生まれ、津に移住して私塾を開き多くの子弟を教えた。閉舎後は諸体の詩を一万余首作り、明治二十九年(一八九六)八十八才で没した。碑文は明治二年桜神社に参詣の時のもので、土地の人々が昔から神社を崇(あが)め、樹木を大切にしてきたこと、西に続く桜岡(地蔵堂付近)の美しさと歴史等を賛美している。桜神社も明治末期に椿岸神社に合祀された。桜地区地域社会づくり推進委員会・桜郷土史研究会と、なっています。