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書により「寺尾神社」をしらべてみる祭神が「下条伊豆守」とあるが、「下条伊豆守」とは?とおもうが、しらべるに、「下條伊豆守頼氏」であるようである。下條氏はもともとが「小笠原長経(ながつね・1179年~1247年)」の5男につながる家であり、「下條」の家を興したのが「下條伊豆守頼氏」であるようだ。つまりは、「下條」氏の祖先を祀る神社である。_____________❶【参考 下条村誌 下巻 1977年】寺尾神社[祭神]大山祇命(おおやまつみのかみ・丘陵の守護神)下条伊豆守「旧吉岡城址」の西部にあたる「出丸の森」の中に鎮座している鞘堂(さやどう)の中に本殿があり、規模は余り大きくはない。正面棟上に「三階菱」の「小笠原」氏の紋所がある。これは、文明2年(1470年)に信濃守護「小笠原政康」の子、「三郎」が「下条」氏をついで、「下条康氏」となったからであるという。「下条康氏」は「古城」からこの地「吉岡」にうつった、という。「吉岡城」はこの神社のある「出丸」から東方へ緩傾斜して「本丸」「二の丸」とつづいた。規模は広大であり、本社はその城下町「吉岡」の産土神である。この神社の麓にあたる郷の「本の山」林中には、大きな自然石の秋葉山と「金比羅権現」の石碑があるが、これは「白隠禅師」の筆になるものであるらしい社殿が朱塗りであるところを見ると、古城址にある稲荷神社の拝殿を用いたものではないかと思われる、とある。本城址にも「稲荷神社」があり、それは「京都稲荷」を勧請したもので、この神社とは別であるとある。創立年月は不詳である昭和51年11月(1976年)村社に列する______________❷【参考 伊那の御祭神 昭和18年】下條伊豆守頼氏下條氏はt武田氏の氏族、「小笠原長経(ながつね・1179年~1247年)」の5男、甲州の下條に居り「下條修理亮長能」と称す。とある。五代目「新八頼」氏、応永元年(1394年)28歳にして伊那郡下條に来て太守と迎えられて、家を興し「大澤城」を構えて下條100騎を従え「伊豆守頼氏」と称し、2000貫を領す。「大澤城」文明7年より改めて「古城」と称す。