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(伊那32巻1号47-48頁より)その昔、知久平城の姫が家臣と恋仲になり、山伏姿に身をやつしたその家臣と、乳母と爺やを供につれてこゝまで落ちのびたのでした。所が不幸にもその恋仲の家臣は急病で亡くなってしまったので山伏をそこに葬り、自分は東方の人目につかぬ山中のあまづつみ地籍に仮住居し、四十九日の回向参りを続けた。朝夕、近くにある池で己が姿を写したという池が姿見の池であるが、この池は草むらの中にひっそりと残っている畳一枚位の池であった。姫はその後、乳母と爺やと共に知久城へ戻り、尼となって一生を終り、その跡を尼屋敷といって居るそうである。現在の山伏塚(通称千代の松)には墓跡と思われる所もさだかでなく、雑草に覆われているばかりである。次の話はこの伝説にまつわる後日譚の一つである。それは終戦前後の頃のことであったか、この地を通りかゝった一人の旅僧が山伏塚を見て足を止めて、霊感を体に感じ「この西の方角に塚があった筈である。心して念じられよ」と、近くに居合わせた年寄りに言い残して去った、という。①社②明神碑津嶌牛頭天皇 萩坪 田力 中③牛頭観音牛頭如来 馬頭観音 寛政十午五月④巡拝塔西國三拾三所観世音供養塔 安永六丁酉七月朔日 七人 講中 南無観世音大士講中供羪塔⑤名号塔南無阿弥陀仏⑥馬頭観音天保六年未八月⑦馬頭観音弘化三年午三月卅日。