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寺院の記録に残します。【天台宗HPより引用】寺伝等寺史を伝える資料はないが、神崎郡史稿によれば、「往古は大寺であったが、戦国時代の兵火に焼かれた」と記してある。中世以前の荘園は「柿御園」という大安寺領であったが、中世になると延暦寺領が大きな勢力を持ち、ここに多くの天台寺院が創建された。当時もその一つで、隆盛を極めたといわれる。戦国の動乱で天台寺院は衰退し後にその多くが復興されたが、、殆ど他宗派の寺院として再出発した中で、地域の人々に護られて、細々ながら今日に至っている。戦後の農地改革で、資糧は無禄となって益々困窮している。本尊は開基された寺号の如く、「弥勒菩薩」である。木坐像の堂々とした姿で、76㎝の躯長である。寺伝では聖徳太子の作となっているが定かではない。弥勒菩薩は未来仏として、大乗小乗を問わず、多くの経典に説かれており、地域の信仰を集めたと思われるが、天台宗でお祀りする仏像の中では、全国で8体しかない数少ない本尊である。珍しいものに、本尊に因み、弥勒菩薩が兜率から下生して如来となり、民衆を救済することを説いた「弥勒来時経」が残されている。また、九曜星像や役行者神変菩薩像など、密教系尊像が護摩檀配置と合わせて、創建当時の寺運の様子がうかがえる。