戦国の山門が見守る西本寺。
西本寺の特徴
戦国時代の山吹城の門を感じさせる立派な山門です。
山門からの眺めは絶景で訪れる価値があります。
落ち着いた雰囲気の中で歴史を感じられる場所です。
石見銀山にある西本寺さんです。赤瓦の貴重な瓦が多く残っています。細工も綺麗で素晴らしいと思います。
真宗本願寺派の寺。元は神門郡白枝村にあったが、寛永年間(1624〜1644)に熊谷直政(熊谷家住宅の当主?)の請いにより現在地に移された。四脚門・本殿・鐘楼などがある。
霊亀山 西本寺(さいほんじ)は、JR仁万駅の南東8.7kmほどの島根県大田市大森町の大森銀山伝統的重要建造物群保存地区に伽藍を構える浄土真宗本願寺派の寺院です。寛永8年(1631年)天台宗の寺院として創建されましたが、浄土真宗に改宗されています。門前には「山吹城城門西本寺」と書かれていて、山吹城とは要害山山頂にあった城のことです。山吹城は、天文2年(1533年)大内義興が大森の銀山を守るために築城されたもので、その後に尼子常久の銀山攻略で尼子氏の領有となり、さらに永禄5年(1562年)には毛利元就が攻め込んで毛利氏の手に落ちました。山吹城解体後、四門のうち追手門が龍昌寺の門として改造され、後に西本寺に移転され今日に至っています。浄土真宗本願寺派は、浄土真宗の宗派の1つで、宗祖親鸞の墓所である大谷廟堂を発祥とする京都市左京区にある西本願寺を本山とします。「お西」という通称があります。浄土真宗は、鎌倉時代の仏教家である親鸞(1173〜1263年)を宗祖とし、室町時代の八世の蓮如(1415〜1499年)が「講」と呼ばれる組織を築き、人々が平等に教えを聴き団結できる場を提供し、また親鸞の教えを安易な言葉で述べた『御文』を著作し、一般に広く教化した事により急速に発展・拡大しました。天正19年(1591年)に、十一世顕如(1543〜1592年)は豊臣秀吉に京都の土地を与えられ、本願寺を再興しました。しかし、慶長7年(1602年)、石山退去時の見解の相違等を巡る教団内部の対立状況が主因となり、これに徳川家康の宗教政策が作用して、顕如の長男である教如(1558〜1614年)が、家康から本願寺のすぐ東の土地を与えられ本願寺(東)を分立しました。これにより、当時最大の宗教勢力であった本願寺教団は、顕如の三男准如(1577〜1630年)を十二世宗主とする本願寺(西)と、長男教如を十二代宗主とする本願寺(東)とに分裂することになりました。浄土宗からの圧力により江戸幕府から「浄土真宗」と名乗ることを禁じられ「一向宗」と言われていましたが、明治5年(1872年)にようやく「浄土真宗」と名乗ることが許されました。宗派トップである門主(宗主)は、親鸞の女系曾孫で大谷廟堂を「本願寺」として寺格化した第3代宗主・覚如の子孫である大谷家が歴代務め、絶大な権力を保持していましたが、第22世鏡如の浪費などの問題が生じて以降は龍谷門主大谷家の権限を制限し、大谷家は宗務の権力中枢から、象徴へとその地位を変えています。信者数は、約796万人で浄土真宗の各宗派中最多で、仏教系の宗教法人の中でも最多です。
霊亀山西本寺。浄土真宗本願寺派のお寺です。山門が立派ですが、訪れた時は工事をしていました。
山門がりっぱ!
ここからの眺めは最高。
境内の山門は、戦国時代の山吹城の門だったと伝えられています。
| 名前 |
西本寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0854-89-0024 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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外から拝見しました。