神秘的な武生神社へ、心の静けさを。
武生神社の特徴
武生神社は大戸道命を御祭神としています。
鎌倉時代以来の仁王門や鐘楼が楽しめる神社です。
小雨降る中、険しい武生林道を登った先にあります。
書置きの御朱印いただきました。
常駐の神主さんはいない様です。でも管理のいきとどいた立派な神社です。神社には珍しく鐘樓があり立派な鐘があります。階段は少々低めの段差なので結構足にきます(笑)
小雨が降ってる中行きました。誰も居ませんでしたが急階段を登り高台に有る神社前まで行ってみました。中々静かで雰囲気があって良い感じです。ちょっとお祈りして帰ってきました。階段の登リ降りには注意したいですね。
神秘的な場所にある神社激坂の武生林道を登った人だけ体験出来る場所。武生林道をそのまま走り平家落人伝説もある安寺や持方の集落も見てほしい。
山の中の神社です。石段の途中に鐘があります。風が吹いて鳥の囀りを聞きながら登るのは気持ちが良いです。
鎌倉時代、江戸時代と僧侶の手により管理された時期があるため仁王門があったり鐘楼があったりと興味深い神社です。駐車場はありませんが鳥居の近くの道路脇に駐車できるスペースがあります。また道路から本殿近くまで舗装はされてますが、これは神輿の出し入れに使用される道なので車の乗り入れは禁止されております。本殿に上がる階段の下の家が宮司さんの自宅兼社務所となっていますので御朱印は、ここで頂く事になります。3,000坪を越える境内に生い茂る杉と本殿の美しい彩色が印象的な武生神社。その北方にある武生山には,神武天皇の時代に同社の祭神である大戸道命が降臨したという言い伝えがあります。その後,大宝元(701)に修験道の開祖とされる役小角が神霊を武生山頂に移し,大同元(806),坂上田村麻呂が蝦夷征討の祭に武運長久を祈願して本殿を奉献したと言われています。鎌倉時代には東金砂山東清寺の僧が奉仕し,江戸時代には,徳川光圀公の命により修験道の旧に復しています。これは,明治時代の神仏分離政策が実施されるまで続きました。現在の本殿は天明6(1786)年に再建されたもので,仁王像は寄付金を募って,正徳6(1716)年4月に大仏師雲恵によって造られたといいます。明和8(1771)年には,神託に沿って境内の地を掘ったところ,宝剣が出土。長さ40センチメートル,先が丸く鰐柄のような形状をしており,仮殿を建てて納めています。これより以下は神社庁からの転載です。【御祭神】大戸道尊【御神徳】武運長久・勝負事・厄除・交通安全などに御利益があると云われる。【御由緒】当社の北西に山あり、これを本宮と云う。神武天皇の頃、大戸道尊がこの山頂に降臨され、大宝元年(701)、役小角が神霊を武生山上に遷祀、社殿が創建されたのが大同元年(806)3月1日と伝えられる。征夷大将軍坂上田村麿が蝦夷征伐の際、武運長久を祈願、神恩を謝して本殿を興造し「やぶさめ」の神事を奉納、この儀式は長く伝えられた。永正7年(1510)、滝生山明王寺が建立され両部神道の道場となり、後に僧侶が奉仕するところとなったが、徳川光圀公の命に依り修験職の昔に復し、武生山飯綱大権現と称し大王院(又は大音院)が別当職として明治の神仏分離布告まで続いた。【祭礼】3年に1度神輿の渡御あり【文化財等】本殿天明6年(1786)の再建、現在は美しい彩色を施されている。(市指定文化財)太郎杉樹齢約800年(市指定文化財)随神門享保20年(1735)再建金剛力士像正徳6年(1716)完成・修験道の遺構で、作者は大仏師法祐藤原雲恵(雲栄露紅法師)である。
神社ですが、仁王門があったり、鐘があったりで神仏分離に影響が色濃く残る不思議な空間。本殿は1786年建立、仁王像はさらに古く1716年作だそうです。本殿裏の太郎杉は樹齢800年超の大木で、となりに別の木があったせいで横に自然に張り出した変わった形をした杉の巨木です。駐車場はありません。道路から神輿を入れるために本殿近くまで舗装されていますが、車の乗り入れは禁止されています。道路脇の鳥居の反対側に数台停めれる路肩があります。御朱印は本殿に上がる階段の下のお家が宮司さんのご自宅兼社務所になっており、玄関先の予備鈴を鳴らせば御朱印をいただくことが出来ます。常陸太田市の観光マップにはあまり載っていないことが多いようですが、もっと評価されて良いと思いますし、そろそろメンテナンスしないと折角の史跡が朽ちてしまわないか心配です。
御朱印頂きました。神社の下の宮司さん宅で頂けます。駐車場は無さそうです。神社への階段の手前に少し広い所があるのでそこに停める様でしょうか。
県道から入り(武生神社入口とあるが、1度通り過ぎた⤵️)登ること10分弱⛩️をくぐり階段を過ぎたところに駐車スペースあり。石段途中に神門、登りきると拝殿👏、本殿綺麗👍石段より見て下に見えるのが宮司さん宅。
名前 |
武生神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0294-87-0789 |
住所 |
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HP |
http://www.ibaraki-jinjacho.jp/ibaraki/kenhoku/jinja/05082.html |
評価 |
4.2 |
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御祭神は大戸道命。神武天皇の御代,北方の武生山に御祭神が降臨,夢枕で知らされた村人達が祀ったのが始まりで,大宝元(701)年に役小角が神霊を武生山頂に遷し,大同元(806)年には坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に武運長久を祈願して本殿を奉献した。鎌倉時代には東金砂山東清寺の僧が奉仕したが,光圀の命により修験道の旧に復し「武生山飯綱大権現」と称して大王院(又は大音院)が別当職として明治の神仏分離布告まで続いた。現在の本殿は天明6(1786)年に再建されたもので,仁王像は寄付金を募り正徳6(1716)年に大仏師雲恵によって造られたもの。明和8(1771)年には,神託に沿って境内の地を掘ったところ宝剣が出土し,仮殿を建てて納められているそうです。社名は地元の人でないと読めないかも知れませんが「たきゅうじんじゃ」です。県道33号常陸太田大子線から西へ。狭くて曲がりくねる武生林道ですが,大型車には苦難の道のりもリトルカブ(スーパーカブの小さいの)にとっては楽しき道です。やがて急に道路は広くなり,右手には大鳥居が。そこから坂道を上っていくと左手に赤い二の鳥居と石段があります。途中,真っ赤な随神門と仁王像が。ショックと驚愕の余り写真を撮り忘れてしまいましたが,正徳6(1716)年の大仏師雲恵の作なのでしょうか。階段を上りきった先に威厳ある社殿が鎮座していらっしゃいます。裏に回って御本殿を拝見すると,なんとも色鮮やで。天明6(1786)年の再建とは思えませんが,先ほどの仁王像もそうですが,新造当時と同じ状態であること(つまりピカピカ)を目標に修繕を加えている・・・ひとつの見識としてありなのかも知れませんね。そこから裏の山に少しだけ上ると御神木の太郎杉がありました。推定樹齢約800年で,高さ約35m・周囲約5mを誇る目を見張るべき巨木です。(2019.5記)