散策が楽しい勿来の関。
勿来関跡の特徴
勿来の関は歴史的な価値が高く、石碑や銅像が揃っている場所です。
整備が行き届いており、快適に散策できるスポットの一つです。
桜の季節は賑わいますが、普段は静かで落ち着いた雰囲気が漂っています。
山道上がったところにひっそりあります。回りには散策道がたくさんあるのでハイキング兼ねて行くのも良いですね✨
勿来駅からは路線バスはないため、2kmを徒歩で行ったところ、上り坂ということもあって30分かかりました。平安時代に一流歌人たちが和歌で詠んだ『なこその関』ではないか、と言われている場所の一つです。本当に実在していた場所なのか、いろいろな説がある中で、江戸時代にこの場所が関所跡として観光地のように整備されたらしいです。現在は歌碑がある公園になっており、近くには文学歴史館や吹風殿もあります。公園から1kmほど下ると勿来関モニュメントもありました。
いわき市と北茨城市の県境にある、歴史ある関です。近くには水戸光圀公も歩んだという勿来切り通しもあります。公園には、この地で唄を詠んだという源義家公像があり、関を通過しようとする者を監視しているようです。平安文化感じられる吹風殿が隣接されていますが、アピール度は正直今ひとつ。何か起爆剤となるものが求められている感じがします。
2025年9月、祝日の夕暮れに訪問。福島県にいくつかあった関所のうちの一つ。源義家が奥州に下る際にも通ったとされ、馬に乗った義家像が勿来の関跡の石碑の横に建っている。夕暮れ時に行ったこともあり侘しさを感じた。とてもかつて人の往来があったようには思えなかった。そもそも、勿来という言葉自体が、「人が来るな」という意味であり、名は体を表すといった場所だと感じた。また、源義経が弓を掛けたとされる弓掛の松もあったが、以前、倒木したという。
勿来関があったとされる場所あったと言うか「あったらいいな」くらいの場所平安時代と極めて古い時代の関所なので詳細は全く不明、遺構は無く、そもそも本当にこの地にあったのか?更に言うと存在自体すら確定していません勿来は「来る勿(な)かれ」と言う意味だそうです。
訪問日:2024/08/27先ほど通過した武士の像のところに戻る。武士の正体は源義家という人物。源義家がどんな人かも知らないし、「なこそ」を詠む歌人が多い中でなぜ彼がここに代表的な人物を装うようにして像が立っているのか、私にはわからない。(後日、文学歴史館の「勿来関ってなんだろう」を読み、理由を何となく掴んだ。彼の子孫から何人も有名な武士が出たこと、(詳細は省略するが)なこそ=桜に関する歌を一首だけ遺したこと、が背景にあるようだ。)近くの脇道には過去の偉人による歌が並ぶ。せめて一つだけでも和歌を記録しておこう。「名こそとは誰かは言ひしいわねども 心にすふる関とこそみれ」(和泉式部):「来ないで」なんて誰もあなたに言っていない。あなたが心の中に関所のような隔たりを作って私に会いに来ないだけだ。心の中に関所のような隔たり…か。「図星」という文字が脳内をたらい回しの様相で動いていく。私の他者への振る舞いを指摘された気がしてならなかった。
2024年12月26日に散策しました。旧地名は、菊多なのだそうです。平安時代中期から勿来(なこそ)関と呼ばれるようになったのだとか…。後三年の役平定に向かう源義家は、この地で「吹く風を 勿来の関と 思へども 道もせに散る 山桜かな」と詠みました。千載和歌集に載っています。松尾芭蕉や斎藤茂吉など、多くの歌碑が遺されています。
福島生まれの埼玉育ち!勿来の関の名前は良く耳にしてましたが初めて訪れました。石畳の歩道が続き海が見えるスポットもありました。歌人の石碑の多さに感動しました。風光明媚な場所です。まさに陸奥国の入り口ですね。
勿来の関は古代の関所跡なので、当然昔からのものは何も残っていないのですが、関所の門、石碑、銅像と、関所に期待する3点がしっかり揃っており、解説板もあって見ごたえ充分です。都人からすれば、はるか遠くの東北の入口でもあり、また、「勿来」イコール「来るなかれ」という言葉のイメージからも、旅情をかきたてられたのでしょう。白河の関でも思ったが、何でこんな不便な山の上の尾根道に関所を作っのか不思議でしょうがない。人々は、海沿いの平坦な道をすり抜けて行かなかっのか?
| 名前 |
勿来関跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0246-65-6166 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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ゆっくり過ごせると思います。石畳が歩きにくいので、足腰に不安のある方は気を付けてください。桜が有名なのだと思いました。桜の季節は、また違った雰囲気になりそうです。レジャーシートとお弁当持参で来れる環境かと思います。