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北原稲雄翁碑正二位勲一等伯爵 土方久元 篆額北原稲雄君 始め森右衛門信質と称へ父を民右衛門因信と云ふ 母は虎岩氏 文政八年正月三日座光寺村に生る 質性篤実 幼きより書学び歌詠むことを好み 夙に敬神尊王の大義を弁ふ 家代々邑宰の職を執るを以て君亦其職を襲き 傍ら郷党子弟を教育して二百人の多きに及びぬ 安政六年吾先師平田篤胤大人の没後門人となり 専ら皇学を講究し遺著弘仁歴運記考を上梓して師恩に報い また有志と議りて古史伝を上木し 大に皇学の振興に勉めたりき 元治元年十二月水戸藩尊王の志士武田正生等 与衆八百余人を率ゐて京師に上らむとし 伊那路を通行するに方□飯田藩将に戦端を開かむとす 君深く之を憂ひ 弟今村真幸と共に軍監藤田小四郎に謀りて間道を導き事なからしむ 明治二年伊那県に出仕し後筑摩県に転し累進して中□に至る 県治に従事すること八年 其職に在るや倹素自ら持し 得る所の俸給を以て災民を救助し 且つ公益の事業を補翼せしかば 官其篤志を賞すること屡なりき 十年四月開社々長を命せられ松本に住す 十三年病を以て帰郷し 十四年十月二日遂に帰幽せらる 年五十七 配伊藤氏二男四女あり 長信綱継く 茲に郷党相議り碑を建てゝ其功績を後の世に貽さむとす 君と余は殊更に睦□□へる同門の因みあり 同国の縁しあれば その大凡を書して記念となすと云熱田神宮宮司 正五位 角田忠行 撰神田神社社司 平田盛胤 書。