墨俣川の古戦場跡へ。
源平墨俣川古戦場跡(源平合戦)の特徴
源平の戦いが繰り広げられた歴史的な場所です。
墨俣川の戦いに関する資料が整備されています。
平家物語とも深い関わりを持つ名所です。
時系列的には富士川の戦いが終わって平清盛の死の直後、平重衡軍と源行家軍が墨俣川を挟んで激突。源氏軍は大敗して義経と同じ常盤御前から産まれた兄、源義円や尾張源氏の源義光が討たれた。鎌倉殿の13人の旗立てられてた。
墨俣川の戦い(すのまたがわのたたかい)は、治承5年(1181年)4月25日、尾張・美濃国境付近の墨俣川(現長良川)において源行家軍と平氏軍との間で行われた戦闘である。治承・寿永の乱の一つに位置づけられる。この時、行家の軍に加わっていた源義円(頼朝の異母弟、源義経の同母兄)、源重光(泉重光、山田重満とも。尾張源氏)、源頼元、頼康(ともに大和源氏)といった源氏一門の諸将が戦死、行家の次男行頼が敵軍の捕虜となっている。行家は矢作川を突破された後に敗走した。平氏があくまで都を中心とした専守防衛体制を堅持したことにより、平氏の西国支配、源氏の東国支配、奥州藤原氏の東北支配という勢力分布が一層明確なものとなった。
平家物語にある源平古戦場のひとつです。知らなければ通り過ぎてしまうような小さな公園になっています。義円公園といって、公園内に源平墨俣古戦場の石碑があります。ちなみに義円とは源義経の同母兄であり、この戦で討死と伝えられております。公園内に義円公の供養塔もあります。ここから近くには豊臣秀吉ゆかりの墨俣一夜城もあります。
名前 |
源平墨俣川古戦場跡(源平合戦) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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源平の戦いがあったことは知っていたが、ここに古戦場跡があるとは…しっかり手入れがされていて良かったです。