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| 名前 |
舘城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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永禄年間(1558年 - 1570年)に石川備後守繁が居城していたが、慶長5年(1600年)には関ヶ原の戦いに関連して西軍方についた福知山城主の小野木重勝によって燃やされて落城したといわれている。この石川氏は元は丹後一色家の家臣であった守護代の石川氏の一族と見られる。天正4年(1576年)のものと思われる5月19日付吉川元春宛「石河繁書状」からは光秀敗北後の丹波の様子がわかるという。繁は毛利氏が足利義昭を奉じて出陣することを伝え聞き、赤井直正や赤井幸家と相談して忠節を尽くす気持ちを述べており、丹波の国人はその考えで一致していると言っている。また繁は直正を通じて吉川元春に取り入っている。今だ訪問した事は無いが、気になる城跡。