文久三年の庚申塔、ひっそりと佇む。
庚申塔道標(富士大山・新井薬師道)の特徴
文久三年(1863年)建立の庚申塔が特徴です。
蓮沼村中の歴史的な道標が静かに佇んでいます。
説明板もないため、神秘的な雰囲気が漂います。
文久三年(1863年)、このあたりの蓮沼村中が建立した庚申塔。道標も兼ねていて、富士大山 新井薬師 道と書かれているようです。富士、大山、新井薬師などに多くの人が行っていたことを示しています。場所がわかりづらくひっそりと建っていて目立たないですが、当時の人の往来や信仰に関する貴重な史跡だと思います。
| 名前 |
庚申塔道標(富士大山・新井薬師道) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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説明板もなくひっそり残る文久3年(1863)建立の庚申塔兼道標です。何気なく通れば見落としてしまいそうですが、調べてみると、この地域の江戸時代の交通と信仰を一つの石に残した非常に面白い史料でした。正面には日月を表した意匠の下に「庚申塔」、台座には庚申信仰を象徴する三猿。側面には「文久三亥年五月」「武州豊嶋郡蓮沼村中」とあり、当時の蓮沼村の人々によって建てられたことが分かります。高さ約85cm、幅約29cm、厚さ約27cmとされ、板橋区教育委員会の石造文化財調査を典拠とする資料にも収録されています。何より興味深いのが側面の「冨士大山道/新井薬師道」という文字です。庚申塔であると同時に、旅人に道を示す道標でもありました。富士山や大山阿夫利神社への参詣、さらに現在の中野区にある新井薬師・梅照院への参詣が、当時の人々にとって実際の「道」を形成していたことが、この石から読み取れます。資料によって「新井薬師」「荒井薬師」と表記に揺れがありますが、指しているのは新井薬師方面と考えられます。特に面白いのは、この道標が現在の中山道から少し西へ入った場所に残っていることです。志村坂上には別に有名な「富士大山道」の分岐がありますが、この塔の存在からは、中山道から富士・大山方面へ向かう道筋が一つだけではなく、この大原町側にも参詣路が存在していたことがうかがえます。古地図からは、この細道が現在の前野町方面へ下り、常楽院付近を経て、志村側から来る富士大山道へつながっていた可能性が指摘されています。現在は住宅街の電柱脇に立つ小さな石塔に過ぎません。しかし約160年前には、ここを通った人がこの文字を見て、富士へ、大山へ、新井薬師へと進む方向を確かめていた。庚申信仰、富士・大山信仰、寺院参詣、そして江戸近郊の交通史が一基の石塔に凝縮されています。こういうものが元の街道に近い場所で残っていること自体が貴重です。板橋の古道を歩くなら、ぜひ側面まで回り込んで文字を確認してほしい庚申塔です。詳しく調べたい方には、板橋区教育委員会の『いたばしの石造文化財1 庚申塔(改訂版)』がおすすめです。現在も板橋区の有償刊行物として扱われています。