歴史感じる城址公園で家族の笑顔。
岩槻城跡の特徴
岩槻城跡は歴史的背景を持つ、広大な沼地に築かれた巨城跡です。
整備された公園内には、優美な菖蒲池があり散策に最適です。
残る土塁や空堀は、往時の面影を偲ばせる貴重な遺構となっています。
水辺があちこち。綺麗なトイレが沢山あります。アップダウンも豊富で飽きさせません。🅿️も充実の郊外公園です。
沼地に囲まれた総構を持つ巨城跡です。正に埋もれた名城。城址公園となった今は新曲輪、鍛冶曲輪跡で、本丸や二の丸等の主要部分は住宅街。一部の土塁と埋め戻された障子堀跡や空堀、馬出が残ります。移築された黒門や薬医門が展示されています。街の至る場所に「跡地の標柱」が建っていますので、歩いて回っても柱だけが鎮座しているだけです治水対策として今我々が普通に生活出来るのも、こういった遺構が消えて普段通りの生活が出来ると実感出来る城跡です!太田資正が息子に追放され後北条氏領となり、小田原征伐後に徳川家は高力清長が入りました。明治時代の廃藩置県まで続いた正に名城だった城跡でした。
後北条氏の武蔵国における重要拠点、広大な城郭でしたが、その一部が城址公園として保存されています。野球場もある大きな公園で土塁、空堀、水堀が残る緑豊かなところでした。長屋門も移築され保存されており歴史散策を楽しめる公園でした。
岩付太田氏の城で、後に明治まで岩槻藩がここに置かれた。岩槻駅の観光案内所で城廻りの地図を貰うと散策しやすい。城跡の主要部は宅地となり、今は路傍に石碑が残るのみだか、地図に従って大手門、三の丸、本丸、二の丸と巡るとおおよその大きさを実感できる。城址公園はかつての新曲輪と鍛治曲輪跡で、野球場や市民会館などが建つ。菖蒲池周辺には土塁や空堀が良好な状態で残り、古の姿を十分に想像することができる。かつては忍城のように池や湿地帯に囲まれた水城(浮城)であり、城址公園は十分にその雰囲気を伝えている。特に堀底道は、「土の城」愛好家も十分満足できるくらい保存状態が良い。当時は外郭を元荒川が囲っていたとのこと。今は埋め立てられているが、一部は緑地公園として面影を残している。久伊豆神社裏の赤間堀緑地公園や外郭を囲んでいた土塁=大構跡(愛宕神社)も合わせて巡ると、城跡の広大さを実感できる。公園内でも楽しめるが、健脚ならば、主要曲輪と外郭全てを回れば8キロくらいの行程もお勧めする。
7年ぶりの訪問。前回訪問時は城の見方を知らず、池だけが残っていると誤解していたが、その誤解は解けた。現在の岩槻城址公園の南東側に遺構が集中している。直線と直角から構成され、固く突き固められた空堀は戦国末期の実戦に耐え、今もその姿に寸分の違いもない。特筆すべき構造物としては岩槻城の渋江口に設置された時の鐘がある。平和な江戸時代に建てられたものだが、城の領域を知る足掛かりになるだろう。
良く整備され、しかも城跡も保存されている。
城跡といっても構築物は門、あと空堀が少し残っているだけ。本丸に相当する場所は北の公園外みたいです。トイレはそれっぽいデザインの建物を模してます。他所にあるようなキャラクター看板が並ぶような商業観光地遺跡化はされていません。さすが埼玉、慎ましい。
テレビやガイドブックには橋や黒門が掲載されているが、土塁が凄い!行く価値有り。障子堀跡もありました。
起伏が適度にあり、小道が迷路の様にあり野球場の裏も回れば良い散歩になります。夏は他の公園より草木が高いので涼しいです。夏にはカルガモの親子や翡翠も見る事が出来ます。平日はシルバー人材の方がトイレや雑草をちゃんと整備してくれています。
名前 |
岩槻城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/005/001/002/p002206.html |
評価 |
3.8 |
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公園の地図を見ると本丸などがあったところは開発されて宅地になってるっぽいです。城址公園は新曲輪の辺りみたいです。