安土の血天井、歴史の息吹。
大崎寺 阿彌陀堂の特徴
安土城落城の歴史を物語る血天井が見どころです。
滋賀県高島市マキノ町海津に位置する真言宗のお寺です。
2024年6月の参拝で歴史を感じる特別な体験ができます。
「滋賀県の大崎寺を参拝しました。琵琶湖を見下ろす高台にあり、境内からの景色がとても素晴らしかったです。静かで落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりお参りすることができました。
2024年6月初旬。桜の季節は終わってますが、良い天気で雰囲気も良く、琵琶湖の眺望は最高でした。
滋賀県高島市マキノ町海津128にある、真言宗のお寺です。大崎寺〔おおさきでら〕の本堂の前を右手に下に降りる階段を下がった場所に阿弥陀堂があります。阿弥陀堂の天井に安土城の信長側の家来は、明智光秀との激しい戦いの後切腹してはてたと言われます。天正の晩年に豊臣秀吉は、その家来を供養する為に、ここ大崎寺阿弥陀堂の天井に貼り法要をとり行ってます。安土の血天井と言われています。6月の梅雨の☔️時期になると、そのシミは現れてくるといいます。確か亡くなったのは6月ですので、偶然ではないように思います。この時代の背景は、あの有名な、本能寺の変〔1582年6月2日〕のあったあと、明智光秀は、信長の安土城🏯をせめにいきます。6月8日には安土城をでます。それからは山崎の戦い「6月13日」のため向かいます。その後織田信雄が関わったと言われる火災で天守と本丸は燃えています。安土城は「本能寺の変」(6月2日)の13日後の6月15日、何らかの原因によって焼失しています。じっさいに発掘調査でも、熱で割れた礎石や焼土などが見つかっています。6月15日は京都の神官・吉田兼見の『兼見卿記』の記述がのこっていますが、焼失したのは城全部ではなく、天主や本丸など中心部のみであり、清洲会議の後に織田秀信が二の丸に入城しているように、城としては主に二の丸を中心に機能していたそうです。それでも安土城は織田氏の天下を象徴する城として、秀吉の庇護の元で信長の息子信雄や孫の三法師が入城を果たし、信長の跡を継ぐものであることをアピールします。その後は、残った石垣や建物は、八幡山城に、移されています。アクセスは、jr湖西線マキノ駅🚉徒歩47分、JRマキノ駅から国境線バスで「海津1区」下車、徒歩約30分です。マキノ駅の中に観光案内所で受付がありますので、ここでレンタルサイクルやレンタカーもあります。
安土城落城の際に血に塗れた城材が血天井として使われている。
| 名前 |
大崎寺 阿彌陀堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0740-28-1215 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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安土の血天井があります。説明板はありますが、実物は見る事が出来ません。