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| 名前 |
蛇塚 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
この場所は清内路街道に面し、北御堂久門地・五輪原を過ぎて真鳥山地籍から山地へ入り、山本西平の山原へ行く。山本村誌(山本村誌編纂委員会編 1957:702-703頁)によれば以下の内容が伝わる。むかし美濃国岩村の藩主に一人の美しいお姫様があつた。幼い時便所に行くたびに、必らず一匹の小蛇がきて仕方がないので、乳母がたわむれに蛇にむかつて「もし汚物を片付けてくれるならば姫をあげよう」といつた。だんだん姫も大きくなり阿島の知久様と結婚の話が決つたが、蛇の妨げを恐れて姫は駕を急がせた。蛇は執念ぶかく姫の後を追つてきたので、姫は道々を持つてきた縫針を蛇になげつつ山原まできた時、蛇の腹は針のために破れてしまつた、といい伝える。里人は蛇の祟りを恐れてこの地に小祠を建てて祭つた。その後、小祠は朽ちたので、大正十一年十月石碑に建てかえた。なお、蛇塚の伝承は山本音頭においても取り入られている(同701頁)。また、わがムラの石造文化財2によれば山本西平集落は、明治12(1879)年に金澤猪之弥が中心となって組織した積善社(同41年頌徳碑建立)の祭典と敬老会を毎年四月二九日に行うが、これに合わせて当番が蛇塚を清掃し、注連縄を張り、御神酒を供えて蛇の慰霊を続けているという(南信州新聞社編 2020:151)。