歴史の息吹感じる、中氷川神社。
中氷川神社の特徴
木々に囲まれた静かな雰囲気が漂う神社です。
延喜式内社として歴史を感じる貴重な場所です。
鳥居から続く長い参道は訪れる価値があります。
社殿裏手、鬱蒼たる樹陰に聳ゆる異形の姿。こちらは、屋根にその身を護られた御神木のケヤキである。WW2戦後間もなくの頃、暴風雨で枯死してしまったものと言う。傍らの石柱には、大日本老樹名木 山林局選定御神木由 中氷川神社(他の方のお写真も参照させて頂けば)とある様に見える。「大日本」とあるのを見れば、明治後半から大正・昭和戦前期頃のものであろうか。山林局は林野庁の前身で、1881年(明治14年)に組織され1947年(昭和22年)まで存在している。1830年完成の「新編武蔵風土記稿」に樹齢400余年とあるそうなので、倒れたときは樹齢500数十年であったろうか。御神木は、今も迫力ある、圧倒的存在感を漂わせておられる。
2024.11「延喜式内」の看板を見かけて立ち寄りました。延喜式内ということは古社であることは間違いなく由緒ある神社なのでしょうが、参拝客も少なそうな雰囲気です。あとで調べたところすぐ近く、所沢市山口に同名の神社があり、そちらは社務所に人がいて御朱印対応もあるようです。それでも村社と思えば十分立派で、虎の彫刻などが欄干に施された本殿や大きな神楽殿があります。本殿裏にある御神木のような巨木は見応えあります。【御祭神】須佐之男命奇稲田姫命大己貴命少彦名命【由緒】崇神天皇御代(紀元前97年~紀元前29年)に大宮氷川神社より勧進されて須佐之男命と奇稲田姫命を祀った。その後、日本武尊が東征の折に立ち寄った際に霊異を感じ大己貴命と少彦名命の両神を祀ったと伝えられる。室町時代までは「中宮」、江戸時代は境内が細長いことから「長宮明神社」と呼ばれた。天正19年(1591年)徳川家康より朱印地を賜る。明治初年、中氷川神社へ改称した。明治以降、式内社・中氷川社の論社を称するが、有力視はされていない。
道路からちょっと見えるこちらの神社は木々に囲まれ、参道が長いので趣深い。神社の造形は癒やされます。
延喜式内社と云われる神社にしては寂しい雰囲気。宮司様も常駐していないらしく、御朱印も頂けませんでした。
参拝の後社務所へ行くと、「祈祷中につき終わるまでお待ちください」とありました。待つこと10分程でしょうか。とても感じの良い宮司様に対応して頂き素敵な御朱印を頂いて来ました。
三ヶ島中氷川神社、普段は無人で元旦の初詣にて参拝後、御朱印を戴きました。元旦だからなのか?書き置きが用意されていた。
所沢市三ヶ島にある神社で旧三ヶ島村の鎮守、旧村社。『延喜式神名帳』武蔵国入間郡 中氷川神社に比定される延喜式内論社で、所沢市山口に在る中氷川神社もその論社。北東に一の鳥居があり、そこから真っ直ぐに細い参道が伸びていました。手水は水が流れていませんでしたが、境内は綺麗に掃き清められていて清々し。拝殿はふっくらとした入母屋造りで、ちょこんと飛び出た千鳥破風が可愛い。結構細かい彫刻が施されていて意外に見応えありました。裏には戦後に台風で倒れて枯死した御神木が保存されていましたが、なかなかの威容。日没までに出雲祝神社まで辿り着きたかったのでバタバタしてしまいましたが、またいつかじっくり訪れたいですね。
寂れた感は否めませんが、人の行き来は見られました。
静かです。誰もいません!
| 名前 |
中氷川神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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延喜式内の古社。治安元年(1021年)の創建とされ、崇神天皇の御代まで遡るという1000年以上の重厚な歴史を持っています。大宮の氷川神社(本宮)と奥多摩の奥氷川神社(奥宮)をほぼ一直線に結んだ中間に位置しており、「武蔵三氷川」の中宮という極めて重要な役割を担っているそうです。ここで最も驚かされるのは、その歴史を今に伝える本殿の見事な彫刻です。江戸時代の職人技が凝縮されており、細部まで魂がこもったような造形美は、時間を忘れて見入ってしまうほど素晴らしいものです。由緒の深さと、目を見張るような芸術的な彫刻を同時に楽しめる、まさに隠れた名社です。静かな境内で歴史のロマンを感じたい方には、ぜひ訪れてほしい場所です。