島左近の陣跡で歴史を感じる!
島左近陣跡の特徴
石田三成の陣跡付近、静かな広場に佇む歴史的な場所です。
島左近が奮戦した伝説の地、関ヶ原の雰囲気が感じられます。
馬防柵の再現がある、戦国時代の武将の足跡をたどるスポットです。
家族旅行の途中に立ち寄りました。歴史の教科書でしか見れなかった歴史的場所を見れて感激しました。歴史のことは詳しくわかりませんが、武将同士の位置関係などがよくわかりました。あちこちに看板があるので,徒歩で回るのが面白いと思います。
島左近陣跡は、関ヶ原町の笹尾山のふもとに位置し、石田三成の本陣を守る最前線として構えられた場所です。現在は竹矢来を模した柵が再現されており、戦国時代の緊張感を今に伝えています。この地に陣を敷いた島左近は、石田三成が自らの禄の半分を割いて召し抱えたとされる名将で、「三成に過ぎたるもの」と称された人物です。関ヶ原の戦いでは、黒田長政や細川忠興らの東軍を相手に奮戦し、戦場でその名を刻みました。陣跡は無料で、笹尾山の駐車場から徒歩数分。周辺には石田三成陣跡や笹尾山交流館もあり、戦国の記憶をたどる散策にぴったりのエリアです。
旗も無ければ杭があるだけで、あと、観光地に、するなら、道整備お願いします。
関ケ原の戦い島左近陣地-----説明文より-----島左近(清興)は、「治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城」と謳われたほどの智将で、三成は自らの俸禄の半分を与えたとの逸話が残る。関ケ原の戦い前日には、杭瀬川の戦いで東軍の中村一栄らの軍勢を破った。当日はここ笹尾山に布陣し、攻め寄せる黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せたが、長政の家臣、菅六之助(菅正利)の射撃で負傷し、奮戦の末、討ち死にしたとも、戦場を脱したともいわれる。これを機に、善戦していた石田隊は徐々に押し込まれていった。
意外と小さいと思いました。ここに陣を引くんだ!と思いますよ。漫画とか映画とか合戦のことを取り上げていますが、意外と小さい、とおもいます。
【 2025/06/17(火)訪問 】島左近(清興:きよおき)は、「治部少(じぶのしょう→石田三成)に過ぎたるものが2つあり、島の左近と佐和山の城」と謳(うた)われたほどの智将で、三成は自らの俸禄の半分を与えたとの逸話が残っています。関ヶ原の戦いの前日には、杭瀬川(くいせがわ)の戦いで東軍の中村一栄(なかむら かずひで)らの軍勢を破りました。当日は石田三成が陣を張る笹尾山の麓に布陣し、攻め寄せる黒田長政(くろだ ながまさ)や細川忠興(ほそかわ ただおき)ら東軍諸隊の猛攻を幾度も押し返す活躍を見せましたが、長政の家臣、菅六之助(かんろくのすけ:菅正利(かんまさとし))の銃撃を受けて負傷し、奮戦の末、討ち死にしたとも、戦線を離脱したともいわれています。これを機に、善戦していた石田隊は徐々に押し込まれていきました。島左近陣跡には大規模な「馬防柵(ばぼうさく)」が設置されています❗️
地図で見ると石田三成の陣よりちょっと離れた所にあったのかと思っていたら、笹尾山の麓の所に陣を敷いていたのですね。ここで最後を迎えたのか離脱するしかなかったのか。間違いなく激しい戦場だったのだろうと思うと胸が熱くなります。
とにかく暑かったので階段を登って行くのは諦めました。もう少し涼しい時期に来たいと思います。
2024/4/28石田三成の陣の左前あたりに島左近が陣を立てていたそうですが特に設置物もなくちょっとした広場って感じでした。
| 名前 |
島左近陣跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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石田三成の陣の麓に有る島左近の陣です。場所は馬防柵やのぼり旗があるのですぐ分かります。島左近はこの場所で東軍相手にだいぶ奮戦したが最後は戦死したのか落ち延びたのかはっきりと分かっていないみたいです。