神秘的な日月の神社、富津市佐貫。
日月神社の特徴
日月神社は天照大神や月読尊が祀られた神秘的な場所です。
ここは日本武尊が陣地を定めた歴史的な意味を持つ神社です。
開放的な境内には車を鳥居の前に停められる便利さがあります。
御祭神天照大御神月夜見尊素戔嗚命イザナギノミコトから産まれた三柱なかなか神秘的でした。
日月神社御由緒ご祭神:天照大神 月読尊 素盞鳴尊当日月神社は、第十二代景行天皇の御代に日本武尊が東夷鎮定の途上、上総国鬼泪山鬼退治にあたりこの地に日月の幟を立て、尊崇する日月の神即ち天照大神、月読尊 に武運を祈った事がその創始であり、その後日月の神とその弟神素戔嗚尊が鎮座され日月神社として万民の安寧をお護り下さるようになった。一時期神社の傍らに「日月星山天羽院放光寺」という寺があった為か、当日月神社は一名「日月星山」とも呼ばれ、 現在も里人は親しみを込めてこの神社を「お山」と呼んでいる。放光寺縁起によれば、文武天皇の御宇、中納言大臣高市丸が霊夢による吉野詣で得た吉野姫は、長じてその美貌と 歌舞管弦の才を開花させ、その舞姿は天女が天羽衣を翻すが如くであった故に、天皇から天羽姫の号を賜った。姫は天皇崩御の後この佐貫の里に入り髪をおろしになられたが、その最後の舞には天人が舞い降り共に舞った と言われる。姫はその後村人が日月星山の側らに作った庵に住まい、 日神月神に七郷の氏子を救い給えと祈り過ごした。姫亡き日月星山はそのあらたかな霊験を伝え聞いた人々で門前 ご市をなすようになった。時と共に門前の盛衰は移ろい今に至っているが、御鎮座の三貴神は変わることなく参拝者の、家内安全、生業の繁盛、 農海事の豊作豊漁安全、学問歌舞音曲の成業、健康の維持 快復を加護神益下されている。【現地案内板より抜粋】佐貫の城下町、大手道の鉤の手に鎮座。梅がちょうど咲き始めの時期で、気持ちの良い参拝が出来ました。
佐貫に鎮座しています。毎年秋にお祭りも行われています🏮鳥居脇には屋台小屋、社殿の中には大きな御神輿がありました。狛犬はいずれも子持ちで特徴があり可愛らしいです。境内社もあり、裏手にはお稲荷さんも鎮座していました。
開放的な境内でした。何本か傾いた切り株があるので、かつては木々に囲まれた参道だったのかもしれません。ヤマトタケルはここに布陣し、アマテラス(日)とツクヨミ(月)が見守る中で鬼泪山の鬼を退治したと言われています。唐獅子牡丹の御神灯と技巧派の狛犬は歴史ある神社の雰囲気を形作っています。狛犬の石工は権三良です。
車は鳥居の前に停められます。境内は掃除はされているけど、適度に自然な感じです。本殿の裏側にも、小さい祠があります。
県道163号線の北側、富津市佐貫54に有る神社です。
日本武尊がここを陣地と定め、掲げた旗が燦然と輝いた。それが人々の記憶に残り、跡地に日月神社が創祀された。@「阿久留王」露崎清美著。
名前 |
日月神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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