瀬田の唐橋で歴史を感じる。
芭蕉句碑大津瀬田唐橋公園の特徴
お散歩やマラソンに最適な16ヶ所のコースがあります。
瀬田の唐橋近くに位置し、歴史を感じる公園です。
隠れた俳句スポットとして、多くの人が訪れます。
瀬田大橋のふもとにある公園です。公園の真ん中に石碑と芭蕉の句があります。
お散歩すると気持ちいい💚🩵
マラソンコースの16ヶ所なのです。
琵琶湖を自転車で一周したときに、最南端の地として寄りました。良かったです。
日本の歴史を認識できます。
瀬田の唐橋の横にあります。
隠れた俳句スポット。
唐橋の下も人、自転車は通れます。
この句碑は岡田魯人(天保11年(1840年)~明治38年(1905年)で、現在の近江八幡市舟木町の人。瀬田の唐橋の桁石の残りで建立されたものです。
| 名前 |
芭蕉句碑大津瀬田唐橋公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
写真の撮影日時は2026.08.19(水)13:47~13:49。松尾芭蕉は江戸時代前期の俳人、というよりは俳聖であり、現在の三重県松阪市の出身だが、源義仲(通称・木曾義仲)に私淑していた。『おくのほそ道』などの紀行句集などを残し、江戸に暮らしたが、没地は現在の大阪市中央区だった。自らの最期を覚った芭蕉翁は、門弟に「亡骸は近江国の義仲寺へ埋葬するように」と告げていたが、没後、実際に門弟たちは船と陸路で亡骸を義仲寺まで運び、遺言通り木曾義仲の墓所の隣に埋葬した。義仲公への私淑の影響もあり、芭蕉は幾度も近江を訪ね、現在も瀬田川から琵琶湖畔に幾つかの句碑が立てられている。こちらにある句碑は貞享5年の作とあるが、西暦でいうと 1688 年、09.30(旧暦)以前のものかもしれない。その理由は、貞享年間は貞享元.02.21(甲子歳、1684)に“天和”から改元されて、貞享5.09.29 で終わり、翌 09.30 に“元禄”に改元された。そして、松尾芭蕉の没年月日は元禄7(甲戌歳)10.02 である(わたしの手持ちの『仏教史年表』に、だいぶ前にわたし自身が手書きしていた)。この時期は、天皇は第113代東山天皇、江戸幕府征夷大将軍は第5代徳川綱吉の頃である。また、先ほど“芭蕉翁”と表現したが、木曾義仲は享年 26、松尾芭蕉は享年 52 なので、どちらも寿命は長くなかった。俳諧は五七五という十七文字にその時々の想いや風景などを詠むもので、その世界観が海外に住む外国人にも人気があるそうである。話を瀬田唐橋公園に戻すが、瀬田川ぶらりさんぽ道上に恐らく 200 m くらいの全長だろうか。わたしはこの日こちらの句碑を終点として帰路についたので、公園自体をあまりよく見ていない。最寄り駅は京阪電鉄石山坂本線唐橋前駅。瀬田の唐橋の両サイド(大津方面側と草津方面側)にそれぞれビワイチ(琵琶湖一周サイクリングロード)の起点と終点の道標やモニュメントがあるが、芭蕉翁の句碑・瀬田唐橋公園があるのはビワイチの起点のほう。近江八景に粟津晴嵐(粟津と晴嵐は地名)、瀬田の夕照などと数えられる景色の美しいところである。合掌。