鎌倉時代の青地氏遺跡。
青地城跡の特徴
鎌倉・室町・戦国時代に活躍した青地氏の城跡です。
主郭は小学校になっていますが、遺構は多く残っています。
志津小学校が昔お城だったという歴史的な場所です。
鎌倉時代に築かれた青地氏の居城跡。小学校や神社が建ち一部改変されているが、城址の雰囲気は残っている。志津小学校側から神社側へ向かうと綺麗に堀切跡が残っている。堀切を進むとかつての堀跡が残っており水がたまっている。他にも一部土塁が確認できる。街中では珍しい中世城郭跡である。青地氏は六角氏に仕えたが、信長の近江侵攻時に信長に従わずこの地を去ったという。その後、廃城となった。
鎌倉·室町·戦国時代に活躍した栗太武士、青地氏14代にわたる平山城。中世の城郭遺構が当時のまま遺り、城池も含め『草津八大名所』に選定されている。
真田戦記青地城跡滋賀県草津市青地町873栗太武士このほど観音正寺で青地氏ゆかりの甲冑が発見されました。リンクを貼っておきます。子孫の方々に閲覧していただき、近く一般公開されるそうです。この様な情報に接すると廻り甲斐があります。以前行った青地城と合わせて投稿致します。青地城は今では志津小学校と小槻神社になっています。池のほとりに案内板が立ってます。(向かいがセブンイレブン)城主の青地氏は近江国守護職佐々木定綱の五男である馬淵定広の四男基綱の養子となって青地姓を名乗り、子忠綱が初めて青地城主となっています。忠綱の子冬綱は守護代となり佐々木七騎の一人であったことから、当時すでに強大な力を持っていました。天正元(1573) 六角氏が織田信長に滅ぼされると廃城となって前田利家、豊臣秀次に仕えました。
主郭は小学校になっていますが、その他の郭、空堀などの遺構がよく残っています。
志津小学校の敷地全てが城跡であるならば、相当な規模のお城です🏯堀切の深さは圧巻!六角氏の被官「青地氏」恐るべし😀
城跡としては整備されていない。現在の志津小学校、小槻神社、他が城跡と言われている。北側にある池がお濠の遺構で、小学校と神社の間には綺麗な堀切があり、神社の横にもお濠ぽい遺構が残っている。城跡として詳しく記載されているわけではないので上記の遺構も推測の域を出ない事を付記しておく。小槻神社境内の裏側は小高い丘になっており、その辺りも城跡であろうが如何せん境内の敷地であるが故に聖域であろうからその付近は未踏である。総じて、神社含め静かに歴史を感じられる場所ではあるものの城跡としては「よくわからんちー」と激しく言える。綺麗な堀切遺構が残存しているので☆は4つとした。
近くの志津小が昔お城やったと聞いている。体育館のとこも昔は城池やったとも聞いた。それしか情報がない。
たぶん地形的に城の主要な施設は志津小学校がある場所にあったのでしょう。
| 名前 |
青地城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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志津小学校の敷地内に説明板があります。柵の中でない敷地内に入ることができるのは嬉しいけど、セキュリティ的にはどうかなと。敷地内云々問わず、空堀や堀切などは、なかなかのもの。隣の小槻神社との連郭の中世城跡なのかなと。東海道と中山道の抑えとしても、重要な位置づけのお城だったかと。