美しき参道、静寂の神社。
大生神社の特徴
鹿島神宮の元宮で、歴史ある神社です。
独自の伝承を持つ社伝が魅力的です。
茨城県北限のカゴノキ老樹が存在しています。
・2023/6 訪問ひっそりと鎮座しています。その場で御朱印が貰える所でもありません。ただ単に雰囲気を楽しむ場所と感じました。
大生神社(おおうじんじゃ)。潮来市。旧社格は郷社。主祭神:健御雷之男神 (たけみかづちのおがみ)。資料によると、社伝では、飯富族(オフ:多氏)の大和から常陸への移住の際、氏神として祀られたといわれる。境内周辺には大生古墳群も残っており、オフ一族の奥津城(墓)とされている。当社の創建年代には、大別して次の2説がある。<当社棟札の由緒書>・太古から当地に鎮座。古墳時代、飯富族(オフ:多氏)の大和から常陸への移住の際。・神護景雲元年(767年)、大和国春日遷幸(鹿島神勧請による春日大社創建)。・大同元年(806年)2月11日、当地に遷還。・大同2年(807年)、鹿島に遷幸し跡地(大生)に分霊を奉斎。<東家(鹿島神宮社家)文書>・大同元年(806年)11月14日、多神社から遷座し創建。以上2説から、春日社の創建に関して鹿島神宮が性格を変え、その変化に当社が関与したものと見られている。そのため、当社には「鹿島の本宮」・「元鹿島の宮」という呼称もある。鹿島神宮が発展するに伴い、当社鎮座地は神宮に包摂されて末社となり、当社の例祭には神宮から物忌が出輿したという。中世には当地の豪族・大生氏からの崇敬を受けた。大生氏はのちに没落したが、江戸幕府からは祭田・山林の安堵を受けた。とあります。
鹿島神宮の元宮と言われて要る神社だそうです。
御祭神は健御雷之男神。境内の案内板には「大生神社は健御雷之男神を祭神とする元郷社で、その創祀年代は詳らかでないが、鹿島の本宮と云われ古く大和の飯富(おふ、多氏)族の常陸移住の際氏神として奉遷し、御祀したのに始まるといわれている」と。また、社伝等から紐解けば、上古、大和国より多氏が氏神と共に(大和国式内社「多坐弥志理都比古神社(多神社)より勧請)当地に移住・奉齋。神護景雲元(767)年大和国春日大社へ遷宮したが、大同元(806)年藤原氏東征の守護として当地に遷還。大同2(807)年、鹿島に遷宮して鹿島神宮を創建、跡地に分宮として御分霊を奉齋。さらに、東家(鹿島神宮社家)文書によれば「大同元(806)年、多神社から遷座し創建」とあります。明治6年郷社列格。さらに大礼祭の際には鹿島神宮の物忌(童女の時から生涯独身で神側に仕える女人の最高神官で大宮司より上位)の出輿先でもあることは、当社が鹿島神宮にいかに重要視されていたのかの証左となります。以上のことからは、当社が”鹿島ノ本宮”・”元鹿島ノ宮”と呼ばれるのも故なきことではなく、神武天皇の皇子である神八井耳命を祖とする多氏から藤原(中臣)氏への祭祀氏族としての勢力交替を物語る記録なのかも知れません。長くなりましたので、凜として静なる御神域の様子などは写真にて。以前から参拝したいと念願していた”鹿島ノ本宮”にようやく来られましたこと、誠に幸いです。
御朱印は延方駅近くの鹿嶋吉田神社で直書きして頂きました。
神社の境内には、寒さに弱く茨城県北部が自生の北限とされるカゴノキの老樹があります。カゴノキの名前の由来は、幹の模様が「鹿の子」に似ている為だそうですが、境内の老樹にもその面影が残っていました。
元鹿島の宮と言われる神社。この神社一帯は古墳や七つ井戸など面白いとこが沢山あります。
周りを多くの木々に囲まれて、大変立派な神社です。 拝殿本殿共に重厚さと格式の高さを感じ、手の込んだ作りになっていました。由緒正しい神社だと思います。
大生神社おおうじんじゃ茨城県潮来市大生814祭神t健御雷之男神鹿島神宮祭神に同じ秦河勝が駿河で退治した邪神で民を惑わした氏族の主と関係あるか?
| 名前 |
大生神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0299-63-3154 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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参道が美しい神社です。鹿島神宮の元宮と言われています。