朱色の神社で歴史を感じる。
平野神社の特徴
仁徳天皇や大山咋命をお祀りする歴史ある神社です。
江戸時代の延宝4年に創建された由緒ある場所です。
鳥居から社殿まで朱色が目立つ美しいお社です。
鳥居から社殿まで、全体的に朱色が目立つお社です。公民館や公園も併設されており、地元に根付いたお社だと言うことがわかります。縁起由来はありません。
祭神 仁徳天皇 大山昨(オオヤマグイ)命延宝4年(1676)の棟札がある。獅子奉献 小出清春昭和十八年一月吉日(以上、市原市教育委員会『市原の狛犬』より)大東亜戦争の苦しい時期に奉納された獅子。
村の神社。綺麗に維持されている。
村の神社。綺麗に維持されている。
名前 |
平野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0436-52-2764 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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仁徳天皇(大鷦鷯尊)・大山咋命を御祭神とする神社で、創建年代等の由緒が詳らかでありませんが、残される棟札の銘より、創建は江戸時代の延宝4(1676)年とされ、平成7(1995)年に社殿を銅板葺き屋根に改修しています。社殿には、大正7(1918)年8月9日『日光参拝』、明治27(1894)年8月7日『大山参拝』、明治34(1901)年10月『伊勢神宮参拝(宇治橋と五十鈴川)』、昭和12(1937)年7月28日『日光参拝』など各参拝記念の絵馬及び、明治41(1908)年10月13日『東京歌舞伎中村座』記念額が奉納され、境内には宝暦4(1754)年銘の手水石と石灯籠、平将門伝説に由来する桔梗塚の碑が建碑されます。桔梗は平安時代中期の武将・藤原秀郷の妹とされ、秀郷の間諜(スパイ)として将門の側室となり、将門の乱に際して将門の隠れ場所を秀郷に密告、その後密告したことが露顕してしまい、桔梗(藤原秀郷の妹)が将門山の館(屋敷)から逃亡を図りましたが、不運にも見つかってしまい自刃して果てたとされます。将門が上総国市原郡にて滞在した場所は『平親王野(将門山)』と称され、現・浜野ゴルフクラブ周辺がその将門山の地とされます。村人は自刃した桔梗を哀れみ、自刃の地に塚を築いて葬ったとされ、天保6(1835)年2月3日に二十三夜塔記念碑としてその地に『桔梗塚の碑』を建碑、その後昭和59(1984)年に開業した浜野ゴルフクラブ建設工事に伴い、『桔梗塚の碑』は現在地の平野神社境内に移設されました。明治維新後の近代社格制度において村社に列格された永吉地区の鎮守神で、境内社として子安神社・道祖神社が鎮座します。隣接する永吉公民館の東側から回り込んでアプローチすることにより、境内に駐車可能です。