マラソン発祥の神戸を巡礼!
日本マラソン発祥の地碑の特徴
神戸市役所前に位置する、日本マラソン発祥の地の碑です。
フラワーロードの市庁舎前では、ランナーの姿が楽しめます。
2018神戸マラソンの巡礼スポットとして訪れる価値があります。
マラソン発祥とのこと。
コレを見るまでは知らなんだ。写真は 第10回神戸マラソン出走前に撮影。
◎100年前の神戸で全国初のマラソン大会⚫︎開催日: 明治42年(1909年)3月21日⚫︎大会名称: マラソン大競争⚫︎主催: 大阪毎日新聞⚫︎マラソンと名のつく全国初の大会⚫︎距離: 32km(20マイル走)⚫︎コース: 神戸市の湊川埋め立て地→大阪市の淀川に架かっていた西成大橋⚫︎予選で出場選手は20人に絞られた。⚫︎優勝タイム: 2時間10分54秒⚫︎優勝者: 綾木長之助(旧姓: 金子)◎記念碑は⚫︎2011年の第1回神戸マラソンを記念して「マラソン発祥の地」の記念碑が作られた。◎優勝者「綾木長之助」(旧姓: 金子)⚫︎1883年(明治16年)生まれ⚫︎岡山県英田郡西粟倉村の金子家に生まれる。鳥取県と岡山県の県境の山奥⚫︎青年時代は坂根郵便局の集配人⚫︎1903年(明治36年)鳥取歩兵第40連隊に入隊⚫︎1904~1905年 日露戦争に兵士として従軍⚫︎1907(明治40年)鳥取歩兵第十連隊を満期除隊⚫︎1909(明治42年)日本初の「マラソン大会」優勝⚫︎国際マラソン大会出場の旅費をもらう権利を獲得するも、その権利を行使しなかった。(本当に勿体無い)⚫︎鳥取県智頭町の綾木家に婿養子入り。⚫︎その後は、農林業に打ち込みましたとさ。⚫︎1966年(昭和41年)智頭町で長之助の偉業を顕彰する「第1回綾木長之助杯マラソン大会」開催⚫︎1969年(昭和44年)死去⚫︎マラソン大会は2004年(平成16年)の第39回大会まで続きました。◎感想記念碑一つからでも、掘り下げていくと、いろんなドラマが見えてきますね。
まさか神戸にあるとは。
記念(原文)紀念地。
2018神戸マラソンを巡り、巡礼をしましょう。(原文)來跑2018 kobe marathon順道繞過來朝聖一下。
神戸マラソンのスタート地点でもある神戸市役所前に日本マラソン発祥の地の碑があります。街を歩いていて偶然見つけました。日本で「マラソン」という名称を使ったのは、神戸の湊川埋め立て地から大阪の西成大橋東端までの約32キロの「マラソン大競走」が初めてとのことです。その参加申込者は408人にのぼり、体格試験によって120人に選出。その後に鳴尾競馬場で予選が実施され、さらに出場選手は20人に。1位は、岡山県在郷軍人の金子長之助選手。途中の御影付近で、わらじの緒が切れるアクシデントがありましたが、脱ぎ捨てて走り続け、タイムはナ、ナント2時間10分54秒!2着を5分近くも引き離す優勝だったとの事です。えーっ、ちょっと待って!2時間10分というたら、今でもかなり早いやんー!よく見ると距離が約32キロと短かったです。
フラワーロードの市庁舎前にあり、どの角度から見てもランナーが走っているように見えます。
名前 |
日本マラソン発祥の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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