雑餉隈の商売繁盛パワー。
雑餉隈恵比須神社の特徴
歩道橋と繋がった初めての神社で独特な体験ができる。
博多と二日市の中間にあり宿場町の歴史を感じる場所です。
12月の恵比須大祭での笹の配布は地域の特色を展示しています。
雑餉隈恵比須神社は、西鉄 桜並木駅の南東650mほどの大野城市雑餉隈(旧筑紫郡大野村大字井相田字雑餉隈)に鎮座している神社です。旧社格は無格社です。由緒は不詳ですが、雑餉隈は博多宿と二日市宿の中間に位置し茶店や日用雑貨の商店が軒を並べていた宿場町で、商売繁盛の神の恵比須様と防火の神であり疫病の侵入を防ぐ塞神でもある愛宕様を宿場の鎮護の神として勧請して創建されたと思われます。拝殿は、老朽化のため区民の浄財を集め、昭和24年(1949年)に再建されました。本殿は、大正3年(1914年)浮浪者の失火により焼失したため、大正4年(1913年)に地元の雑餉隈、山田、筒井区の恵比寿組合有志により、石造りで再建しされました。本殿の中には現在三体の御神像が奉納されています。一つ目は、御神像が高さ90cm、幅50cmの木に御神像が浮彫りされていますが、大正3年(1914年)の火災により下半分が焼けて、全体的に焼焦げになっており本殿の奥に安置されています。二つめの御神像は小脇に大きな鯛を抱えた、笑顔の美しい福神姿の恵比寿像です。三つめの御神像は昭和50年代前半ごろ誰かが、勝手に神殿の前に置いていたものを、氏子総代の岩瀬新氏が見つけて本殿内に安置したもので、ニス塗りの像高三六センチの恵比須像です。御祭神は、事代主神(ことしろぬしのかみ:恵比須さま)・火産霊神(ほむしびのかみ:愛宕さま)です。例祭は、四月十日(春ごもり)、七月二十四日(夏ごもり・愛宕祭り)、十月十日(宮座)、十二月十日~十二日(恵比須祭り)です。神社のある雑餉隈(ざっしょのくま)は、福岡市博多区南部と大野城市西部にまたがる地域の通称で、西鉄雑餉隈駅とJR南福岡駅に挟まれる地域です。名前の由来は、貝原益軒編纂の『筑前国続風土記』によると、その昔、大宰府へ向かう人々を主な対象とした多くの店が連なっていた場所であったこと、または大宰府の官人の雑掌居があったことによる可能性があります。また同書によれば、同書の編纂期における雑餉隈は、那珂郡井相田村(現:福岡市博多区井相田)に属する村と山田村(現:大野城市山田)に属する村とで、西と東の二村に分かれていました。この地には、銀天町商店街という商店街があります。また、かつては歓楽街であったが、営業地区が通学路などに重なっており、保護者からの苦情が多数あったことなどから、風営法の改正を機とした警察の取り締まり強化により、違法店舗が徹底的に摘発され閉店し、ほぼ壊滅状態となりました。恵比須神は七福神の中で唯一、日本出身の神様です。エビスはイザナギ、イザナミの神が生んだ蛭子(えぴす)(兵庫県西宮神社)や、大国主命の子である事代主命(ことしろぬしのみこと)(出雲の三保神社)が元であると言われますが、より古くは海の果てから渡来する海神(戎えびす、夷えぴす)ではないかと思われます。釣竿を持ち鯛を抱える狩衣姿は漁師姿であり、現在も漁師にとっては航海の守り神であると同時に、大漁を呼ぶ福神です。
表にある石碑は側面に石を割った時の矢穴があります。その幅は6、7cmほど。神社の建立時期は分からないとの事でしたが、少なくとも明治初期以前ではあるようです。
雑餉隈町の御利益ありの最強パワースポット!幼い頃に良く遊んだ神社!当時はかくれんぼなどをして遊んだものだが、今、訪れると小さな神社にびっくりしましたが、古の頃から地元の方々が敬い護られてきた神社、十日恵比寿のお祭りにはこの神社の並びに数多くの露店が出てたそうなのですが、今はJR南福岡駅周辺に露店が並びこの場所はひっそりしたものになりましたね。
雑餉隈の道沿いにあるひっそりとした神社。人があんまりいなくて良い。商売の神様ということでした。
【コロナ対策で鈴紐外す】世知辛い世となったものです。
【コロナ対策で鈴紐外す】世知辛い世となったものです。
博多と二日市の中間に位置し、かつて宿場町でもあったことから、商売繁盛の神として有名な神社です。公民館や公園が隣接していて、子供たちの遊び場にもなっています。
12月の恵比須大祭では、恵比須様の笹の配布があります。一年間家の中でお見守りしていただいた笹は持って行き、新しい笹を頂いて帰ります。
さびれてるけど地元の氏神様だ。
| 名前 |
雑餉隈恵比須神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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歩道橋と繋がってる神社は初めて見た。小学生の通学路になっていて境内の裏を通って帰る子がいた。毎日子供の通学を見守ってると思うと素敵だ。詳しくは写真参照。