霊験あらたかな寿命稲荷大明神。
寿命稲荷大明神の特徴
階段が狭くて急傾斜な寿命稲荷大明神は注目の神社です。
花岡公園の北西に位置する正一位寿命稲荷大明神は霊験あらたかです。
地元や近隣からの尊崇が厚い神社で、歴史があります。
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階段が狭くて急傾斜。
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| 名前 |
寿命稲荷大明神 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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書にて「寿命稲荷大明神」をしらべてみます______________❶【参考 花岡区誌 1983年】寿命稲荷大明神花岡公園の北西部につづくなだらかな丘陵の突端に鎮座する「正一位寿命稲荷大明神」は霊験あらたかな神として往古より地元並び近隣の尊崇をあつめています。今ほこらの鎮座している大石は、「諏訪藩一村限村地図」に「飛び石」ときさいされているのであります。此の石は恐らく原始時代から信仰の対象となっていたものとおもわれます。当社の所蔵する由来記は次のように記しています。ここは昔、「三伏山」と称した。ここに倉稲魂命(うがのみたまのみこと)が奉祀された年代は不詳であるが、昔から多数の信者が参集しました。然るに弘治年間、武田氏がここに砦を築いたので城郭の中にかこまれ庶民はちかよることができなくなりました。守将は本社を篤く信仰し、出陣には必ず祈願をこめました。武田氏滅亡後は神社も荒廃したが、いつのころからか社殿が再建され数々の霊験が現れ遠近の信者が集まりました。この社とは別に天保12年「山岡徳之丞」が伏見稲荷を勧請して天竜川端の自己屋敷内に奉祀し、信心怠りませんでした。ひとびとはこれを「徳之丞稲荷」と称しました。しかるところ大正年間に「寿命稲荷大明神」に合祀して神徳によくすることになり、以来毎年8,9町内の氏子が5月12日に例祭をおこない、御柱年には10月に行うことにしています。社前に立つ石燈籠のうち、川手のものは明治24年10月村人と下浜の人々の寄進により、山の手のものは明治26年8月下浜の製糸業者「小口善重」の寄進によるものであります。