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名前 |
松川入佐倉神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
松川入佐倉神社は、佐倉惣五郎を祀る神社では全国で最も古いものとされる。神社の正殿には、「徳満院涼風道閑居士」(惣五郎の法号)と刻まれた高さ1m余りの石塔と、小祠に収められた宗吾霊像が安置されている。 佐倉藩を改易された堀田正信は飯田藩にお預けとなっていたが、息女の夭折や惣五郎の事件などを気に病み、正信の体調を心配した夫人が脇坂藩の御典医中村玄俊に相談したところ、玄俊は、正信の気を静めるため惣五郎を祀ることを進言。邸内に建てられた小祠が、松川入佐倉神社の起源という。 その後、正信が若狭小浜に預け替えになったとき、玄俊が小祠を自分の屋敷内に祀った。その後、玄俊は、職を弟に譲り、松川左岸の羽場で新田開発に従事、土着し、祠もそこへ移設したようである。正徳5年(1715年)、玄俊の子 源左衛門のとき、いわゆる羊満水があり、松川が大氾濫し、開墾した数町歩の田畑もろとも屋敷など全財産を流失したが、祠は奇跡的に無傷で下流の中瀬に漂着し、そのままそこに安置され「佐倉様」と呼ばれていた。「佐倉様」は、川入りの山仕事に通う人達が危難水難避けの神として崇められていたが、松川右岸の押ノ澤山で落石が多かったため、明治17年(1884年)頃対岸の現在地に小祠を移転した。明治27年(1894年)、関係者が東勝寺宗吾霊に代参し、初めて真相を知るまで、信仰こそ集めていたものの、どのような御神体が祀られているのか忘れ去られていたと伝えられている。