桃配山近くの見晴らし。
大海人皇子野上行宮跡の特徴
新幹線の宿敵、関ヶ原へのアクセスが良好です。
大海人皇子が指揮を執った歴史的な行宮です。
見晴らしの良い丘で、ツーリングにも最適な場所です。
この場所にあるのは野上行宮跡への行き先を示す道標です。
段状になっている場所がありますが、それがいつごろのものなのか、素人にはわかりません。
お墓を通り過ぎて行くのですが人の気配が無く昼間に行くことを進めます。
吉野宮(奈良県南部)を出発して4日後、大海人皇子はここに行宮(あんぐう・かりのみや )をつくって、全軍を指揮した。大海人軍の連勝に追い詰められた大友皇子は、大津で自害。大海人方の将、村国男依(むらくにのおより)は大友皇子の御首を持って野上行宮に凱旋した。首実検の後、大友皇子の御首は地元の人々が貰い受け「自害峯」(ここから西に車で7~8分)に葬った。行宮跡は山の裾野にあり、隣に野上地区の墓地がある。この辺りに散らばっていた多くの五輪塔や石仏は、1ヶ所に集められ地元の人に守られている。
いいですね。
ツーリング日記。
桃配山にほど近い見晴らしの良い丘にあります。現在は草に覆われていますが、僅かな石垣が当時を偲ばせるものとして残っています。壬申の乱で大海人皇子は672年6月に行宮に入り、関の藤川(現在の藤古川)の右側に陣取っている大友皇子と戦いました。大海人皇子は全軍の指揮を長子の高市皇子に任せ、自身は此、野上を動かずに近江からの戦勝の報告を受けたといわれています。大海人皇子が野上行宮に入られる前は、この土地の長者が屋敷として使用していたとされている。
西国巡礼の途中に通りました。壬申の乱において、大海人皇子(後の天武天皇)は行宮を興して本営とした跡です。
石垣がわずかに残っています。壬申の乱での天武天皇の反撃の拠点。
名前 |
大海人皇子野上行宮跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.2 |
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新幹線の宿敵関ヶ原。晴天だったのが突然暗くなりここだけ雪が降るんだよな。びっくり。