湖北の神秘、塩津神社へ。
塩津神社の特徴
塩津神社は古代の塩池が由来の神社で、歴史の趣が漂っています。
琵琶湖の北端に位置し、昔は船で直接参拝できた場所だったそうです。
森の中で鹿が見られる自然豊かな環境で、多くの訪問者に愛されています。
金田哲さんと本田大輔さんが立ち寄っておられました。かつて、紫式部も立ち寄ったと言われています。
なんて素敵なお宮でしょう小さいけど神聖なエネルギーに満ち溢れている!地元の方々が綺麗にされている。10年近く前 まだ国道8号がバイパス化しておらず、鳥居の目の前を走っていた頃!深夜に前を通ったら、背中に電気が走り、横を見たら電灯に照らされた鳥居が見えた!衝撃的な出会いだった!翌日帰路に着く時に立ち寄ったら、凄く古いお宮だった!あれから何回参拝しただろう雪かきボランティアで立ち寄ったこともあった。林宮司さんはお元気なのだろうか?奥琵琶湖 若狭 北陸への旅の際は、お守りいただいている感じがします。いつまでもお守りください。
湖北の山裾の小さな神社です。
古い、謂れは、書いてないが塩水の池の縁の記述が延々とあった、倒壊の心配からか、侵入禁止のマークが、有った、
塩は貴重なミネラルであり、それが内陸部で採取できるとなると、いかに重要な場所であったかわかる。また、琵琶湖は平安京にも近く、世界地図でみると中東地域の配置にも似ているし、翻訳すると、そのものだったりする。塩津神社の境内に「平安の石」が置かれているのも興味深い。昔は舟の移動が主流だと思われ、都や大津などの湖南側の繁栄を、湖北側で対岸であるこの塩津神社付近の地域が水運を使って支えたのではないかと思ったりもする。また、言葉遊びとしては、湖南側は「大津=オーツー=O2=酸素」、湖北側は「塩津=シーオーツー=CO2=二酸化炭素」という見方もできる。
すごく趣きがあります(`・∀・´)
当社創立の年代は詳かではないが、伝えるところに拠れば、上古この地「志波谷」に塩池あり。ささやかな池ながら、塩水間断なく湧出で、これを汲んで製塩の業を行うもの23戸あった。この人等その遠租塩土老翁神を祀り、後又縁の神、彦火火出見尊、豊玉姫尊をも合わせ祀るに至ったと伝える。玉朝時代以降縉紳顕門の来遊もあり、当社を崇敬せられたのである。わけても和気仲世近江呂介に任ぜられるや、数次参籠して霊示の随に、誉田別尊を本社境内に、瀬織津姫尊を境外に奉祀した。文和元年、足利高氏の子義詮、後光厳帝を奉じて当社に参拝され当地の熊谷兵庫直高、治左衛門尉直久等当社を崇敬し、社殿修復に尽くしたが元亀元年火災に罹り殿舎鳥有に帰した。嘉永年中伏見稲荷神社の分霊を勧請して、相殿に奉祀し、居成明神又稲荷神社とも称した。明治5年稲荷の神霊を境外地字清水に奉遷し、社名を塩津神社と復称し、同9年村社に、同17年、郷社に列した。延喜式内未定社。同43年神饌幣帛料供進神社に指定された。尚、当社は中葉「海北之宮」の別称があった。
鹽津神社しおつじんじゃ滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547祭神鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)神武東征を案内した国津神それが社名の由来になっていますが塩津つまり塩の港であり琵琶湖は淡水湖で塩は取れず南の方から塩を運びいったんここで停泊し更に北陸方面に塩を運んだと思われますそれが社名となったと推察。
塩津湊がかつてたいへん殷賑な地であったことが偲ばれる。
名前 |
塩津神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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昔は塩を含む水がわく池があり、製塩を行っていたとか。そこから、地名も塩津となる。主祭人は製塩をおこなっていた神。境内の雰囲気はとても清々しく素晴らしかった。歴史を感じた。