感謝の心で拝顔、赤後寺。
赤後寺の特徴
菩薩様の御姿札をいただける特別な体験ができます。
屋根の修復作業中でも拝観できる環境に配慮されています。
聖観音菩薩やお仏供さんの魅力を丁寧に説明してもらえます。
広々とした日吉神社の境内に、本殿と隣り合うように赤後寺の本堂が建っています。常には人がいませんので、本尊を拝観される際には管理人の方へ電話する必要があります。ただ、当日でも対応してくださるようなので、少し時間に余裕をもって訪問されれば問題ないかと思われます。少し高台にあり、眺望はすこぶる良好です。また、巨木の切り株もあり、この地の歴史を感じさせます。門前町は手入れが行き届き、歩いていて気持ちの良い町並みです。
観音の里ふるさとまつりで訪問しました。日吉神社の境内に赤後寺があります。重文の千手観音、聖観音があり、どちらも2m弱のひのきの一木作りです。合戦中、仏様を守るため川に沈めて隠したそうで、両像とも手首から先がなくなっています。千手観音の方は別名転利(ころり)観音と呼ばれ、3回お参りすると病気が治ると言われているそうです。7/10は千日会で1回お参りするだけで願いがかなうそうです。
長浜は観音様がとても多くて、58のお寺さんで公開していますが、普段は無人のお寺さんもいくつかあり、前もって電話して拝観できる日時を考える確認が必要とのこと。ここで拝観できる観音様は重文で、賤ヶ岳合戦時に村の人たちが川に隠して守ったそうです。古来のおみくじも引けます。
今回は暑い時期なのでタクシーを利用していきました。拝観は観音様です。世話役の方が丁寧に説明してくれます。近くで観音様に会えます。この時期歩くのはおすすめしません。
木ノ本駅から南西にある重要文化財の千手観音と聖観音を所蔵されている無宗派の寺院です。ご本尊は「転利(コロリ)観音」と呼ばれ、本来は災いを利益に変えることを意味していましたが、コロリという語彙から「コロリと往生できる」というご利益に変化したようです。電動アシスト自転車で訪問しましたが、境内にはトイレの横に駐車場があります。日吉神社の境内にある寺院であり、現在は地域の方が管理されており、拝観の予約も管理者に連絡する必要があります。私は、高月観音の里歴史民俗資料館の観音コンツェルンに連絡し、担当者名と連絡先をお聞きして拝観しました。境内に案内板には当日の予約をする場合の連絡番号と担当者が案内されており、連絡することで拝観は可能なようです。本堂内には姉川の合戦や賤ヶ岳の戦いの折、里の人々が守り抜いた観音様が祀られていますが、手足を失いながらもその堂々とした体躯と温和な表情を見ていると「よくぞ御無事で」とお声がけしたくなります。御朱印は書置きで、揮毫内容の違うものが二種類あり、ご本尊のお写真もともに500円で授与されています。
唐喜山赤後寺といいます無宗派で無住のお寺です、日吉神社の境内に建つ神仏習合の残るお寺です。伝承によれば養老四年(720年)に行基菩薩による開創と伝わります、赤後寺は湧出山(ゆるぎやま)の中腹に建ちかっては足利尊氏公から荘園百石を寄与されて隆盛を極めていたといいます。元亀元年(1570年)に織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の姉川の合戦や天正十一年(1583年)の羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の合戦の兵火から観音様を守るため村人たちが川底に沈めて隠した時に化仏や持物・手首などが欠落し流失したと伝わります。里人が信仰していた小さな身代わり観音が八体が厨子(立派な厨子は彦根藩家老木俣土佐守の寄進と伝わる)の中に納められています。立派な厨子に納められお堂に祀られている御本尊の「木造菩薩立像」と「木造千手観世音菩薩立像」はともに平安時代の作で国の重要文化財に指定されていて隣接する日吉神社の所有仏像になります。
亡父の闘病中に一度御参りさせて頂き菩薩様の御姿札を頂いた御縁があり、本日やっと愛妻とお御堂に上げていただき菩薩様達を拝顔させて頂きました。亡父の御世話になった事に御礼を申し上げ千日会にも再来させて貰えるようにお願い致しました。合掌🙏🙏🙏
ちょうど屋根の修復作業されていて足場が組んでましたがなんとか拝観出来ました。
突然電話して拝観しましたが、丁寧に神社の事を神主さんが説明してくれました。暑い中ありがとうございました。
| 名前 |
赤後寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
090-3164-7486 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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このお堂の守り人といえる世話役のみなさんの献身ぶりには、本当に頭が下がります。御厨子を開けていただき、お参りする際にも、みなさんがこちらの仏様に寄せる愛情の深さがよくわかります。異口同音に「うちの仏様、良いお顔でしょう?」とおっしゃいます。連綿と紡がれてきた歴史には、大きなお寺とはまた違う味わいがあります。