織田信長ゆかりの名刹、紅葉を楽しむ。
興聖寺の特徴
春のしだれ桜や秋の紅葉が楽しめる美しいお庭が魅力です。
大河ドラマ麒麟がくるのゆかりの地で歴史的背景が深いです。
旧秀隣寺庭園があり、静かな雰囲気の中で参拝ができます。
春はしだれ桜、秋は紅葉とイチョウ、冬は椿がいいと思います。NHKのブラタモリで、タモリさんが訪れました。興聖寺の中は住職の奥様?が案内してくれます。でもその前に拝観料を支払いましょう(笑)
枚方市から車で往きは西大津バイパスから真野インターから下りて、国道477号を西進、国道367号に合流し、あとはひたすら道なりに進むだけ。途中名神高速道を利用しましたが、道は混雑しておらず自宅から1時間半程度で到着できました。お寺の入り口は、国道367号を進んでいると右手に興聖寺と書いた大きな案内看板が立っていますので、国道から外れ左斜めの道に入りますが、駐車場入口は入って直ぐ左手にありますので注意してください(利用料は無料)。駐車場は白線は見えず数えることは出来ませんが数10台はとめれそうな結構な広さです。訪問日は3月の祝日でしたが、天候が悪かったせいなのか11時ごろ到着で駐車していた車は私のみでした。ちなみに帰りは2台増えていましたが。到着場の写真を掲載しておきます。写真の様子から広目の駐車場がお分かりになるかと思います。駐車場から階段を使って歩けば2分か3分ほどだったと思いますが短い距離で興聖寺に到着です。歩いている途中で拝観料が300円とかいた看板を見かけ、お寺の玄関で呼び鈴を鳴らすと案内の方が出て来られ、お寺のなかをご案内いただきました。訪問の目的が足利将軍ゆかりの庭園を観ることでした。庭園についてはテレビでたびたび紹介されていて関心もあり多少の予備知識を持っていたつもりでしたが、まさかお寺のなかを案内いただけるとは思っていなかったのでとても嬉しかったです。この時も訪問客はわたし一人でしたが丁寧にご説明くださりました。寺にまつわる歴史から、足利義輝の家臣として興聖寺に滞在したことがあるという細川藤孝の子孫でいらっしゃる細川元総理のお寺訪問の際の写真や宇多天直系佐々木家の菩提寺として建立された歴史から秋篠宮殿下が学習院の高校生時代にご訪問された写真が掲げられています。本尊の釈迦如来座像(国重文)は藤原頼道が甥にあたる一条天皇の皇子が亡くなった際に供養のため三仏のうちの一体とのことでしっかりと拝ませていただきました。縛り不動明王は元々は楠木正成の念持仏であったそうですが、朽木時経が鎌倉時代末期にいまの大阪府にあった千早城を攻めた際に兵火にあわんとするのを避けるため当寺にお移しおまつりしているとのことです。こちらの明王様もしっかりとおまいりさせていただきました。楠木正成が念仏している姿を何度もとらえたであろう玉眼を見つめながら、楠木正成の壮絶な歴史の舞台に想いが巡り、いまの時代にもこうして不動明王を拝めることになんとなく不思議な感覚を得たおもいです。本堂の外はあいにくの雨。しかし四阿がありましたので、四阿の中からゆっくりと庭園をめでることができましたので良かったです。なお庭園の周りは行き止まりになっていましたので、少し離れた位置からの鑑賞でしたが将軍の慰みのために作ったというだけあって豪奢な雰囲気をもった景色を形成していると感じました。お寺の御説明では樹齢500年ほどのヤブツバキが綺麗に花を咲かせるとのことですので、4月に入ってからGW前に再訪しできればとおもいます。因みに、帰りは吹雪の状態で、住まいの枚方では日頃味わえない悪天候のなかドライブをすることになりました。帰りは西大津バイパスを利用することなく国道367号をそのまま南下し、京都市の大原を抜け帰宅の途につきました。滋賀を出るまでは悪天続きで、路面が雪で積もるまでに至ることはありませんでしたがタイヤが滑らないか運転中不安でした。山での天候を甘くみていました。つぎの訪問時は天気のよい日を選んぶようにくれぐれも注意したいと自省しております。
紅葉前だったこともあり、参拝客は私一人でしたが、お寺の方にとても丁寧に縁起を説明していただきました。平安時代作の本尊をとても間近に拝んだり、足利将軍の心を慰めた庭を散策し、当時から植えられている木を仰いだりと、歴史に触れているということを、再度、自覚させていただきました。
こんな山奥に紅葉のステキなお寺があるとは知りませんでした。室町時代の足利将軍のお庭もあります。真っ赤に染まった紅葉と黄色いイチョウが素晴らしい。
拝観料を払うととても丁寧に中を案内してくれて歴史など詳しく説明してくれました織田信長の話も興味深かったですフラッシュをたかなければ写真も撮っていいですよといってくださいましたちょうど紅葉の時にいけたのでお庭も美しく感動しました。
大変ありがたい(^人^)宇多天皇・細川家・朽木家を筆頭に足利将軍や楠木正成、織田信長など歴史の宝庫です。
🔴戦国時代大河ドラマ『麒麟がくる』で、向井理さんが演じた足利義輝(13代の剣豪将軍)が、京から逃れてここで5年半も過ごし、涙する雪のシーンがこちらのお寺です。(12代将軍の足利義晴も、京が荒れてて朽木にいました。)また、織田信長の金ヶ崎の退き口で、ここ朽木の谷(今で言う鯖街道)を南へ逃げました。その時に、ここ興聖寺でひと休みした、と言うことで、行って見たかった場所です。拝観料300円で、お寺さんに詳しく教えて頂きました🍀空でスラスラと驚きべき情報量です。また、お寺の大事な宝物も拝見させて頂きました。戦国時代よりもっと昔のお話でした。とても、古い由緒あるお寺で恐縮します。元総理の細川さん(細川藤孝の子孫)や皇族が来られたと言う写真もありました。印象に残っている話は、信長が比叡山焼き討ちの時に、ここのお寺だけは絶対に火を付けるな‼️と命令したそうです。金ヶ崎の退き口で、信長が絶体絶命のピンチの時に助けてもらったからだそうです。それと、ここの朽木氏は、江戸時代に福知山藩主になってます。🔴足利庭園は修復中です。池の周りの石が、崩れずにとどまるのは、近くの牡丹の木の根っこが張っているからと言う説明でした。もう400年も前の庭園が残っているのは奇跡ですね。足利庭園は牡丹の咲く時期に、見学するのが良さそうです🌺
司馬遼太郎先生の街道をゆくの第一回に登場した朽木谷にある名刹です。この冬の雪で本堂の前にある桜の枝が折れていたのが痛々しかったです。椿にはまだまだ早すぎました。河内の千早赤阪城から、楠木正成の持念仏だった不動明王が兵火から救い捧持されています。そんな由緒をとても丁寧にご案内して下さいました。
堅田から鯖街道を抜け朽木へ。先ず向かったのが高巌山興聖寺(^^)。あの足利将軍、義晴と義輝が滞在した名刹😲。義晴は三好松永の乱を避けこ、義輝は京都の乱世を避けこの地に滞在。その時に作庭した足利庭園が国名勝指定となっており、足利庭園の藪椿も継承認定に認定~😲。そして、、曹洞宗開祖道元が越後に向かわれる際に建立を勧められたとのことで1240年に七堂伽藍が完成。曹洞宗として2番目めに古い寺院であることも分かりまたビックリ~😲。更に、佐々木信綱の曾孫義綱が名字を朽木に変え、関ヶ原で裏切った朽木元綱もこの家系だと分かりまたまたビックリ~😲。話は変わり、本堂内で定朝様の御本尊釈迦如来座像、楠木正成念持仏である縛り不動明王と、素晴らしい仏像も堪能~(^^)。少し色づいた紅葉🍁も綺麗😊。
名前 |
興聖寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0740-38-2103 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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2024/5/13無料の大きな駐車場🅿🚙がありました。本殿前には、お墓が沢山あったのですが、雨が降っていたせいか、凄く神秘的な感じがしました。お墓は陸軍の身分の高い人達が多かったです。京都の庭の原型と言われている庭園は、無料で見ることが出来ます。本殿内部は有料ですが、楠木正成の念持仏など、色んな仏像を間近で見ることが出来、凄く良かったです😌第十二代 足利将軍(約1200年前)が、反乱から逃れ、朽木氏に守られていたみたいです。細川忠興など昔から細川家とも関係があり、今では、元 細川総理もここに来られていたみたいです。