朱色の欄干、静かに鎮座する還来神社。
還来神社の特徴
藤原旅子をまつる知る人ぞ知る神社です。
還来神社では旅の安全と健康回復を祈願できます。
大きな銀杏の木が魅力的で、写真スポットにも最適です。
適度に手入れが行き届いており、かと言って手心が過度に加えられた雰囲気もありません。平日昼間は人も少なく、とても居心地の良い神社です。
入口に立って銀杏の木が大きいです。境内はそれほど広くは有りませんが綺麗に清掃等が行き届いた神社です。
国道477号線を走行していると朱色の欄干が見え立ち寄らせていただきました。還来(もどろき)神社とはなかなか難しい名勝です。かんらいと呼ぶともあうそうです。橋を渡ると朱色の鳥居が目に入りますが大きな銀杏が護衛するかのように優しく迎え入れてくれます。自動車は銀杏の木周辺に止めました。歴史的な香り雰囲気をもつ伊香立にあり御祭神は藤原百川の娘、旅子を祀られています。ここからも平安時代の薫りがします。鳥居を抜けると、とても柔らかく優しい雰囲気が漂っていて色付き始めたモミジも一役かってます。拝殿は結構シンプルですが背後に鎮守する大きな木々が明らかに御神体で力強さと優しさを感じることが出来ました。整備もされて本当に心地よい雰囲気の神社です。
2024/7/1鳥居の前に駐車場🅿️🚙?がありました。雨☔が降っていたこともあり凄く神聖な感じがしました。御祭神は[藤原旅子]みたいです。鳥居が凄く豪華で、狛犬も大きく凄く立派でした。戦に敗れた源氏が、東国に戻る際にこの神社に辿り着き、お祈りされたみたいです。他にも戦争に行く前に、無事に戻って来られるよにお参りに来られる人が多かったみたいです😣
知る人ぞ知る、藤原旅子(桓武天皇の夫人)をまつる神社。ご近所さんや氏子の皆様が綺麗に管理されてるみたいです。さりげなくトンでもない歴史があります。
京都から途中トンネルを抜け、琵琶湖に向かって約1㎞程走ると目印の赤橋が左手に見えます。神社自体は、山中で地域に古くからある小さな神社です。朱塗りの鳥居から奥の本殿まで見渡せますが、境内に入ってみると小さな枠の中にも何か不思議な感じとなり時間をかけて過ごしたくなりました。今は紅葉の時期でもあり、サイクリングやドライブの小休止に丁度良いくらいかな😅評価としては、標準的な⭐3とさせて頂きます🙇
還来神社(もどろき)無事もどりくる(還来)旅の安全、交通安全、病気平癒、健康回復、また尋ね人等の帰還祈願に参拝者が絶えません。まずは鳥居横の銀杏の巨木が、目を引きます。鳥居をくぐり抜け境内に、大変綺麗に手入れされており、気持ち良く参拝できました。御朱印の他に御守りも大変充実していました。日頃の安全無事を願い、還来神社に参拝の記念を兼ねて、蛙の御守りを購入させて頂き!ました。また紅葉の季節に訪れてみたい神社です。
還來(もどろぎ)神社三千院を湖西線経由北側からの道路沿いで、大きな銀杏の木に魅了され、思わず立ち寄って、写真を撮らせてもらいました。大切な人の無事を願う(社名通り、もどりくることを願う)神社との事です。この出会いに感謝です。
御祭神 藤倉旅子は桓武天皇 の皇妃 して53代淳和天皇の御生母 であり太政大臣藤原百川 の娘である。往昔この龍華の荘 は藤原氏 の食邑地 でその邸宅あり、旅子ここに生まれる。長じて此良の南麓最勝寺 の開祖静安 に随侍仏に帰依し蓮華夫人 と呼ばれた。静安勅を奉じしばしば宮中に参候して仏名会灌仏会 を行ったが、これに才色兼備 の旅子桓武天皇 に召し出され、53代淳和天皇を生み奉る。後京都西院に隠棲 され、延暦 七年(七八八年)五月十八日 逝去さる。 病重篤の時「わが出生地比良の南麓に梛 の大樹あり、その下に葬る可し。」と遺命され従者畑丹波守 により祭祀された。”出生の地に還り来た”と言うので還来 と名付けたのが当社の起りである。後年平治の乱 に敗れた源義朝 の一行は八瀬大原 を敗走し、ようやくにして、この還来神社に辿りつき、白羽 の鳴鏑 の矢を献上武運長久 を祈願する。後源氏の頭領 とて君臨した頼朝はこの還来大明神 を忘れ難く神田 を寄与する。故郷に還り来るとの当社の由緒のに鑑み、その後日清日露の戦いに参戦する人、この社に参拝をなし無事帰還を祈願さる。太平洋戦争 に至っては、参拝者の行列が毎日続いた。最近では海外派遣海外旅行 等無事帰還 の祈願 する人が多い。
名前 |
還来神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
077-598-3171 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

書き置き御朱印500円。入口に駐車場あり。