光源氏モデルの融神社へ。
融神社の特徴
険しい比良と比叡の山々が見える静かな里に、融神社はひっそり佇んでいます。
源融を祀る神社で、光源氏のモデルとしても知られています。
母堂・大原全子と仲良く並んで祀られ、遊び人としての魅力が感じられます。
2024年2月国道477号の看板、京都方面向きには源氏物語ゆかりの地が書いてありました。2024年1月国道477沿いに融神社の看板があるのは子供の頃からここ通るたびに見てたので知っていたがどこにあるのかは知らなかった。3年前ぐらいにここの神社の近くで、お米買ったのをきっかけに神社にも寄るようになった。大きな拝殿2つと摂社がいくつかあり地元の神社とここの2箇所摂社も含めて全部お参りしたら、伊勢、出雲、鹿嶋、香取、春日などなど有名な神社に直接行かなくてもお参りできる。1月2日に初詣行ってみたけどもう神社の関係者の方は居なくて御札やお守りなどがあるのかはわからなかった。国道のトコの看板に、昔は源氏物語ゆかりの神社と書いてあったのに今は消されている。
光る君へつながりで、光源氏のモデルとなったと言われる"源融(とおる)"を祀る"融神社⛩️"を訪問~(^^)。由緒を読むと、第五十二代嵯峨天皇の第十二王子"源融"を全国唯一お祀りする神社で、最後に紫式部が源融公をモデルにしたとありびっくり~😲。
〒520-0354 滋賀県大津市伊香立南にある源氏物語にでてくる、光源氏こと源融「とおる」をまつる神社⛩️です。歴史にあふれた伊香立(いかだち)の地にある「融神社」(とおるじんじゃ)は、大河ドラマ「光る君へ」で生涯を描かれる「紫式部」(むらさきしきぶ)ゆかりの神社です。融神社に祀られている平安時代前期の皇子「源融」(みなもとのとおる)は、紫式部が書いた源氏物語の主人公「光源氏」(ひかるげんじ)のモデルのひとりとされています。融神社の歴史は、889~898年(寛平元年~寛平10年)にまでさかのぼります。光源氏のモデルとなった皇子・源融が、現在の社地となった伊香立の荘園に閑居(かんきょ:静かに暮らすための場所)を置き、山頂に鏡を埋めました。源融の死後、945年(天慶8年)に伊香立の荘園の管領が鏡を掘り出して神璽(しんじ:神社の御印)にし、祠(ほこら:小さな社殿)を建て、源融を才人(さいじん:学問に優れた人)として祀ったのが創建のはじまりです。融神社は、源融を祀る全国で唯一の神社で、主祭神(しゅさいじん:主として祀られている神様)として源融を、配祀神(はいししん:主祭神の他に祀られている神様)として源融の母である「大原金子命」(おおはらのぜんしのみこと)を祀っています。左側が母で右側が融の祠があります。源融の墓所は、嵯峨釈迦堂・清涼寺は源融の山荘「棲霞観」があった場所、ここに源融の墓があります。アクセスは、伊香立診療所前バス停より徒歩11分向在地道バス停より徒歩12分南庄バス停より徒歩13分JR堅田駅から徒歩約5キロで1時間10分です。
とても趣のある神社です。光源氏のモデルとして有力とされる源融(みなもとのとおる 822~895年)をお祀りしています。参道脇の由緒書きが一部読みにくくなっていたので、全文をテキスト化しておきます。[西暦は加筆]※2023年5月に再訪したところ、由緒書きが銅板の新しいものに代わっていました。説明文も一部訂正の上、読みやすい文体に修正されています。24年の大河ドラマ対応でしょうかね?----------------------------融(とおる)神社大津市伊香立南庄町牟禮の岡山1,846御祭神 正一位河原の左大臣 源融公配祀神 大原全子(融公の母親)・大山咋の神(山の神)御神紋 十七枚菊→十六葉菊に訂正御祭日 4月29日(元5月1日)境内社 19社(内5社は不詳)特別行事 神誘進の神事由緒そもそも当神社は、人皇第五二代嵯峨天皇の第十二皇子源融公をお祀りする全国唯一の神社であります。当地は、融公の荘園で現在の社地は公が宇多天皇 寛平年間[889-898年]に南庄村牟禮の岡山に閑居賜いし旧跡であり、朱雀天皇 天慶八[945]年に旧地に祠を建て鏡一面を御神璽として融公を祀られた事が当社の創始である。寛和二[986]年花山法皇、近江巡幸の時社殿を造営あらせられ正一位融大明神と崇称せらる。一條天皇、永延二[988]年南庄の水田百丁歩を神領とされ、之を始めとし御歴代天皇奉幣の例ありしが、鎌倉時代以後、次第に衰微し遂に廃絶せり。その後。南庄・谷口・三村の産土の神となった、元亀二[1571]年、信長の延暦寺焼き討ちにあい、社殿その他焼亡した。天正七[1579]年に至りて社殿を再興し神璽を奉遷された。後世この神領は武家の所領となった。寛政八[1796]年、再び社殿火災に罹り、勅書、神宝等焼失す。同九[1797]年、社殿及び末社等再造営され現在に至る。嵯峨の清涼寺、宇治の平等院などは公の別荘で有った。また、公は小倉百人一首 陸奥の しのぶもじずり 誰故に 乱れ染めにし 我ならなくに の読人でもある。後の世に紫式部は、光源氏の名で源融公をモデルにして源氏物語を作ったのである。
比良と比叡の山並みが続く麓にある長閑な伊香立の里にひっそりと融神社は祀られています。専用の駐車場は無く、壱の鳥居を強引に進むと少しスペースがあったので駐車しました。この区間だけでも杉の木で覆われ少し薄暗く、二之鳥居と木製の参之鳥居も薄暗く空気も少し涼しく引き締まった感覚を受けました。途中に大きな岩や杉の木があり神秘的な雰囲気ですが、参之鳥居をぬけ舞台を超えると、流造の本殿に出迎えて頂きました。背後に御神木の大きな杉の木をたたえ立派な本殿、様々な摂社が祀られていますが少し緊張感は和らぎ優しく柔らかな空気が漂います。流造で朱に塗られることなく質素ですが、正面から右の本殿には家紋、左側の本殿には立派な彫刻が施されていて建立時期が異なるのかも知れません。第52代嵯峨源氏の祖、嵯峨天皇第12皇子源融公が御祭神等の様々な情報があります。事実でしょうが寂しいくらい静かで駅から公共交通機関で来にくい場所ですが、伊香立の雰囲気や融神社が気になれば心地良さは事実ですので、訪れるのも良いかと思います。
令和4年12月 参拝し、小椋神社で御朱印帳に御朱印をいただきました。
今が最高です!🍁もみじ綺麗です!紅く輝いてました!
歩いていくにはちょっと遠いけどええ神社ですね。狛犬さんも好みで祠も立派でお気に入りの神社のひとつになりました。
とおる神社旧村社綺麗に手入れされパワーをかんじる。
| 名前 |
融神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
077-574-3040 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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源氏物語の主人公 光源氏のモデルの一人と言われる源融(みなもとのとおる)をお祀りされております。 その荘園であったとも伝わります。静けさが品格をより一層引き立てます。