明智光秀と巡る坂本城跡。
坂本城 本丸跡石碑の特徴
坂本城本丸跡は、赤い石碑が特徴的な史跡です。
残存石垣や瓦の出土があり、歴史の深さを感じられます。
明智光秀がここにいたことを実感できる感慨深い場所です。
石碑のみ2023年11月上旬、坂本エリア探訪の際に寄りました。交通量の多い道路沿いの民間の敷地にしれっとありますので注意しないとスルーします。南側に坂本城趾公園がありますが、こちらが天守閣があった本丸にあたり石碑を設置するには相応しい場所になるかと明治以降のどさくさで土地が民間のものとなり、行政としてできるのはこれが精一杯なのかなと。
坂本城本丸跡。正に水辺の平城。今はほぼ何も残ってませんが、当時の重要拠点として、叡山や堅田等に睨みを利かすには最高の立地だったのでしょう。
⭐️通り沿いの一画に「本丸跡石碑」、油断すると見逃します😵今は使用されていない立派な建屋と敷地(キーエンス?)の入り口右側にひっそりと⁉️⭐️『湖底の石垣』はと、畑の畦道を試しに湖畔の方面へ進行、やっぱり6月の雨季で水量一杯、更に草が元気に沢山で全く近寄れず、やはり乾期の秋で草が枯れた時期に、ホント琵琶湖の湖畔散策路を城址公園内からでもあれば凄く良いのにと個人的な感想🚶😁⭐️通りから東側は元は湖面、坂本城も膳所城と同じ様に本丸が琵琶湖に突き出した水城(湖城)、東から本丸~二之丸~三の丸の「連郭式」平城❗️⭐️1572年築城で大天守と小天守を備えた城郭、安土城が1576年築城開始なので、坂本城は勝竜寺城(1571年頃)と共に最先端の「天守」&「石垣」&「瓦」を備えし城郭、城内に船着き場も備え舟で安土城まで往来と文献に記載あり、更に小天守でお茶会を催した記録も残るとは、中々当時の明智光秀の力を誇示した城郭🤔
かねて行ってみたかった坂本城址を散策。本丸跡はどこかの会社の研修センター跡地となっており、僅かに石碑で本丸跡地と分かるだけ。しかし、興味深いのはその脇にある畑の畦道を通り、案内板の通りその先の葦原を抜けると琵琶湖の湖水に埋もれし石垣の跡が。かつて坂本城が水城と言われた所以かと思うと、当時の面影を偲ぶことが出来ました。
坂本城跡は既に民間の会社が建っています。細い畦道を通って琵琶湖に出ると、城跡の石が見えるそうですが、私が行った時は琵琶湖の水が満々とあって見ることが出来ませんでした。戦国武将の居城の跡地が民間に使われているとは、やはり光秀が敗者であったことも影響があるのでしょう。
琵琶湖の水位が下がって、今日は残存石垣が少し見えてました。対岸の三上山の光景は光秀さんの時代と同じなんでしょうね。
2021年5月現在は本丸があったとされる土地は私有地のため見学できません。道路の路側部分に明智光秀の家紋が塗装されていました。
湖中の石垣跡は見れませんでした。
琵琶湖の渇水時に、石垣の遺構が姿を見せた事でニュースになった事を思い出します。近5年辺りならまだしも、それまで明智光秀に対する評価がよろしくなかった事もあって、市や県によって公園整備される事なく1960年代まで田畑だった遺構も、やがて1970年代になると整備され、私有地となりました。後に話題になった石垣の遺構を見物に来る歴史ファンを見越して公園整備へと動こうと思いきや、私有地へと変わり果てた本丸跡、時すでに遅し。歴史的価値の上がった土地を簡単に手放す様な者など居る筈も無く、結局は実際の城の遺構すら無い、”無関係の土地”に『坂本城址公園』というものを苦し紛れに造り、体裁を取り繕う為、明智光秀像を、それと無くしれっと設置するお粗末ぶり。市や県の失策によって本丸推定地であるキーエンスの保養所と、ガソリンスタンド建設により、遺構は更に破壊され、荒らされてますが、今後どうなる事やら…。
| 名前 |
坂本城 本丸跡石碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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坂本城跡になります。民間企業の入口付近にひっそりと石碑が設置されていました。前には歩道もなく、車も結構通るので気をつけてください。