袖解橋で歴史を感じて。
袖解橋跡の特徴
昔の旅人が旅装を解いた歴史的な袖解橋跡です。
説明を読むことで歴史の深さを感じられます。
お地蔵さんや石碑がある昔懐かしい雰囲気が魅力です。
お地蔵さん畳屋さん畳屋さん石碑ダイキ。
昔の旅人はこの袖解橋で旅装を解いて山口入りしたんやと!なんとも風流ですなー。
今となっては往時を思わせるものはないが、説明を読むと歴史を感じる。
石碑と説明書きしかありません。石州街道(秋穂街道)に交差する南北に走る道が拡張されたためか、橋の痕跡すらはっきりしません。
名前 |
袖解橋跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

いや〜。大昔にこの付近で、あの井上馨が襲撃された場所だとは。井上馨が生きてた頃のこの辺りを知らないので知らないのは当然ですが、そんな事をいわれても、余り実感が湧いて来ません。袖解橋で襲撃されたのでは無くて、袖解橋の付近だったそうです。井上馨は九死に一生を得ていました。井上馨は元々は、井上聞多(いのうえもんた)という名前で、幕末倒壊後に馨(かおる)と改めて、新政府成立とともに外国事務係をしていました。話は、元に戻りますが、井上馨を襲った刺客は誰かと言えば、それは長い間謎とされていましたが、明治になってから、その当人が名乗りをあげました。宮内省に出仕していた児玉愛二郎です。児玉は萩藩士で、俗論党の先鋒隊士族として山口へ出勤していた1人です。確か…井上馨は長州ファイブと共にロンドンへ留学して、鉄道を学び、日本に帰ってから鉄道の普及に務めて、別名、鉄道の父でもあります。