自然と歴史が息づく、観音寺。
施無畏山 観音寺の特徴
西美濃三十三観音霊場の十二番札所として知られる歴史ある寺院です。
曹洞宗の十一面観音菩薩が祀られ、パワースポットとしても人気があります。
美しい景観と独特の雰囲気を楽しめる場所で、心が安らぐ時間を提供します。
寺院の歴史、斜面に形成された集落、素晴らしかったです自分が好きな雰囲気のある場所過疎化・少子高齢化が進む中で、いつまでも守られていってほしいと願うばかりです。
西美濃三十三観音霊場 十二番札所 曹洞宗 十一面観音菩薩。
観音寺(かんのんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山ある曹洞宗の寺院。山号は施無畏山。大垣戸田氏ゆかりの寺院。養和元年(1181年)に天台宗の寺院、元正庵として現在地より山よりの場所に開かれた。弘安年間に現在地の東隣に移転する。戦国時代後期には無住となり、仏像も持ち出されて荒廃した。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに敗れた小西行長がこの寺に潜伏していたが、竹中重門により捕縛されたと伝わる。慶長6年(1601年)には種本村から千手観音、大日如来及び釈迦如来の像が移され、安置される。正保年間、大垣藩主戸田氏初代戸田氏鉄の妹で本多正勝の正室であったおさいが眼病を患った際に中山の観音に帰依せよという霊夢により、当寺を訪れ完治したといわれる。慶安元年(1648年)、荒廃した元正庵を戸田氏信が再興し、大乗寺25世白峰玄滴を勧請開山として曹洞宗に改め、普門山観音寺と名付けた。その後、万治年間におさいは自らが建立した栄春院にこの観音像を移して別の観音像を本尊として観音寺に納め、現在の本尊となっている。享保18年(1733年)に焼失した際は、当時の藩主戸田氏長により復興された。万延元年(1860年)再び焼失し、戸田氏十代戸田氏彬により再建されて山号を施無畏山に改め至っている。
御朱印はセルフで押印する物とご住職が書かれた物と2種類ありました。
実は結構なパワースポット。
村の人が守る行事、観音様。偶然見つけた桃源郷(寺)。
このお寺や神社と、その周辺の景観や、家々の佇まいが素晴らしく、合わせて写真を載せました。(揖斐川町春日 辺りの写真を載せていますので、少し広域です)観音寺のすぐ近くにある坂に建つ昔風情の家々、細く狭い路地、坂の下から見上げた景観が、日本の良い故郷感。あるいは、和の昔話やおとぎ話の舞台にもなりそうな。フォトグラファーとして、作品を創るクリエイターとして、ここを舞台に物語を撮りたくなるような。ただ、静かな場所と暮らしなので、そっとしておくべきかと。お婆ちゃんが畑の世話をし、何匹かの猫が昼寝をし、井戸から水が流れ・・と、良い場所だなぁ・・。この辺りから見える伊吹山の景色も素晴らしい。
波動も優しいし、霊気も無いし、けどなんか魅力有る、山寺です。
名前 |
施無畏山 観音寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

階段が急で登るのに危険を感じました。降りるほうがもっと怖いので覚悟を持って登ってください。誰かに助けてもらって登るのは考えないほうがいいと思いました。こちらの本堂には概要が解説してある書面が置かれていたので、頂いてきましたが、地名や人名などにふりがなが振っていないので分かりづらいです。また、1860年の火災の時に三尊仏がどのような状態だったかは記されていません。私の想像では無事だったのではないかと思います。そして、先日おまいりできたと信じています。