松山城天守閣からの絶景!
大天守の特徴
松山城天守閣からの見晴らしが良く感動できる眺望です。
天守チケット売り場で特別な御城印を受け取ることができます。
鎧や火縄銃など歴史的な展示品が充実しており見応えがあります。
2018/04/08来訪。重要文化財「天守」です。慶長年間、加藤嘉明が松山城郭を創建した当時、天守は五重であったと言われる。続きは解説板があるのでそちらを読んでください。
標高132メートルの勝山山頂に建っている現存天守。小天守、南隅櫓、北隅櫓の4つの建物が渡櫓で結ばれた連立式となっている。本丸曲輪にある建築物は数度にわたる火災により一度は焼失しており、大天守も江戸時代に一度は焼失したものの、松平(久松)時代の安政元年(1854年)に再建されて、これが現在まで続く現存天守となっている。昭和8年の放火や太平洋戦争時の空襲でも奇跡的に残った大天守をこれからも大切に守っていく必要がある。
松山城の天守は標高132mの勝山山頂に建築されており、天守からの眺望はとても良く、松山市内に留まらず、瀬戸内海を望むことができます。建築は三重三階地下一階の層塔型天守で、1602年加藤嘉明により着工されたが、完成目前にして加藤嘉明は会津へと転封となり、代わりに入封した蒲生忠知により二之丸を完成するも1634年に病没。翌1635年に松平定行に封じられ、3年の期間を経て1642年にこの天守が築造されたとのことです。その後も、1784年に落雷による火災で焼失し、1854年に松平勝善により落成した建物が現在の天守です。その後も、放火や戦災により一部の建物が焼失したものの、1968年に木造建築で再現され、現在に至っています。鉄壁の防御力を持つ天守なので、内部からは本壇内に侵入した敵軍をあらゆる場所から攻撃可能になっていることがわかります。銃眼も至る所に設けられており、その完璧な設計にびっくりです。お城好きにはお勧めの天守と言えますね。江戸時代の建築なので、足腰の弱い方には階段がキツイと思いますので、お気を付けください。
穴蔵を抜けるとこちらの天守へ。中には靴を脱いでスリッパで入っていく。現存12天守の一つで、江戸時代の雰囲気を今に伝える貴重な建物と言える。内部は複数階に分かれており、甲冑や刀剣、当時の生活や戦いを伝える歴史的資料が数多く展示されている。ただ登るだけでなく、松山城や藩の歴史を学びながら見学できるのが魅力だ。最上階からは松山市内を一望でき、景色も素晴らしく、時間をかけてゆっくり見て回ることをオススメする。ただし、各階へ繋がる階段はかなり急なため小さな子供やお年寄りは登る際に注意が必要だ。
松山城の大天守は現存12天守のひとつで国の重要文化財に指定されている。創建当時は五重天守だったが、1642年に三重に改修された。その改修天守も1784年に落雷により焼失し、現在のものは1854年に落成した三代目である。よって、現存12天守の中で最も新しい天守となる。松山城天守は現存する唯一の親藩(松平氏)による普請であるため、精度は高く、一級の木材が使用されている。また瓦には三つ葉葵の瓦紋が確認できる。松山城本丸自体が標高132mの山上にあるため、天守からの眺望は大変良い。
現存する12天守閣の一つである松山城です。
松山城天守閣からの眺めは良かったです。16時迄です。
天守閣見た松山の景色です。天気が奇跡的に晴れて、かなりの絶景でした。道後温泉方面、堀江駅方面まで見れます。丁度、陽が落ち始める時間帯だったせいか神々しい景色の写真をとることに成功しました。ここまで、3日間は台風でしんどい思いをしましたが、この陽が落ちる姿を見て、報われた気持ちになりました。
天守チケット売り場にて御城印戴きました。ロープウェイ🚠にて往復しましたが、リフトも楽しそうでした。ロープウェイ利用の場合、天守とセットになったものを購入した方が入場がスムーズです。ロープウェイ降りてから天守までは緩やかな坂が続きます。途中、東雲神社がありました..口コミによると..御朱印は正月三が日のみの様でしたので今回時間も、なかったので上がりませんでした。天守は三重三階地下一階。木製の階段が狭くて急でしたが、良い雰囲気でした。展望所からの眺望は言うまでもなく素晴らしかったです。平日の朝一で上がりましたが、それなりの人出でした。降りた時間..駐車場🅿️はどこも満車🈵状態でした。
| 名前 |
大天守 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
089-921-4873 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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松山城の大天守は、日本に現存する十二天守の一つで、国の重要文化財に指定されています。標高約132メートルの勝山山頂に建つ三重三階・地下一階の天守で、天守・小天守・櫓・渡櫓が連結する連立式天守の中心を成しています。連立式天守は全国でも例が少なく、現存する完全な形は松山城と姫路城のわずか二城のみであり、松山城の天守群は日本の城郭建築の中でも特に貴重な存在です。松山城の築城は加藤嘉明が慶長7年(1602年)に開始し、当初は五重天守が建てられたと伝えられています。その後、松平定行により寛永19年(1642年)に三重天守へ改築されましたが、天明4年(1784年)の落雷で天守群が焼失しました。現在の大天守は、安政元年(1854年)に再建されたもので、江戸時代末期に築かれた天守として歴史的価値が高い建造物です。外観は入母屋破風や千鳥破風を巧みに配した端正な姿で、白漆喰と黒い下見板張りが美しい対比を生み出しています。周囲の小天守や櫓とは渡櫓で結ばれ、中庭を囲むように配置されているため、単独の天守ではなく「天守群」として防御と威容を兼ね備えている点が特徴です。こうした構成は、敵が本壇へ侵入しても天守群全体から立体的に攻撃を受けるよう設計されており、松山城が実戦を強く意識して築かれた城であることを示しています。内部には急勾配の木造階段や太い梁・柱が残り、江戸時代の建築技術を体感できます。最上階からは松山市街や瀬戸内海、晴れた日には石鎚山まで見渡せる大パノラマが広がり、城主が城下を見守ったであろう景観を味わうことができます。また、最上階には城の守護神として三島神社が祀られている点も特徴です。松山城の大天守は、美しい外観と堅固な構造を兼ね備え、さらに日本に二例しか現存しない連立式天守の一角を担う、極めて希少な城郭建築です。本壇の門・櫓・石垣と連動しながら城の最後の防衛線を支える姿を意識して眺めると、松山城が「美しさ」と「強さ」を併せ持つ名城であることを深く実感できるでしょう。