室町の伝承が息づく場所。
粟野神社の特徴
室町時代から伝わる歴史的エピソードが魅力的です。
神事に関する興味深い伝承が残されています。
応永年間に起こった出来事が深い意味を持っています。
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名前 |
粟野神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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室町時代の1403年(応永年間)には、社司が神事を汚したため清浄すべきという奏上が天皇に向けて起こされたという伝承があります。祭神は天日方奇日方命(あめのひがたくすひのみこと)だとか。この高台尾根は石村粟野平と呼ばれてきました。江戸中期の1774年、石村の氏子たちは朝廷に対して青野大明神を延喜式内の粟野神社の社号を改めることを願い出て、2年後に許可されたそうです。境内神域の南東側に、鎌倉時代にはあったとされる神宮寺(神護寺)の跡が残されています。江戸時代のはじめ、この寺は当地を治めた長沼藩によって城内に移されて、のちに貞心寺となったと伝えられています。神宮寺は粟野神社と一体になった寺院だったようですが、この寺は平安時代後期に真言密教の高僧によって開かれたということなので、粟野神社もその頃に創建されたのかもしれません。現存の社殿群は、石村に独特の造りで、舞殿(神楽殿)を兼ねた広い拝殿の奥に神明宮風の造りの本殿が置かれています。この構造配置は、東隣の穂長神社と共通しています。