室住虎光で戦国を感じる。
諸角豊後守の墓の特徴
整然とした墓地で、掃除が行き届いている印象です。
武田信玄に関連する史跡で、歴史を感じられます。
花が供えられており、静かな敬意を表しています。
駐車場はありませんが、綺麗な墓所で、戦国乱世を思い、手を合わせました。安らかにお眠りください。
きれいに掃除が行き届き、花も供えられている。500年も前に亡くなった人なのに。しかも、守ってくれているのは子孫でも親戚でもない人達。
室住 虎光(もろずみ とらみつ)とも。甲陽軍鑑では飯富虎昌などと並び賞賛されているそうです。だとしたら武田信虎の時代では結構な重臣だったと思われますが資料が少ないとのこと。討ち死にした第四次川中島の戦いでは81歳だったと言いますから、16世紀の頃と考えればずいぶんと長生きしましたね。最近(H30.9)手入れがなされて綺麗になりました。(写真参照)
武田信玄が上杉政虎に大敗した川中島八幡原の戦いで討ち死にした武田一族の一人。歩きながらでないとほぼ見つかりません。
| 名前 |
諸角豊後守の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「諸角豊後守」で有名な武田家の重臣で、姓は「諸角」「両角」、名は「虎定」「昌清」などの説がありますが、近年は「室住虎光(もろずみとらみつ)」が正しいとされています。永禄4年(1561年)の第4次川中島合戦で戦死しました。緑豊かな非常に立派なお墓で、とても綺麗に保たれていました。住宅地と田畑に挟まれており、駐車場などはありません。「甲陽軍鑑」によると、室住虎光公は本隊に配属され、別働隊に追い出された上杉軍を八幡原で待ち構える役割でした。ちなみに本隊は武田義信・武田信繁・武田信廉や穴山信君などの親族衆と、山県昌景・内藤昌秀・原昌胤・跡部勝資などの甲斐衆で構成されていました。上杉軍に作戦を見破られた武田軍本隊は苦境に陥り、別働隊の到着までに武田信繁や山本菅助なども討死しています。山梨県甲斐市竜王に室住虎光公の開基とされる慈照寺というお寺にあり、そちらには供養塔が建立されています。