いけじんじゃの巨木に抱かれて。
頥気神社の特徴
地元の人々に親しまれているいけじんじゃです。
千曲川を挟んで位置する神社で訪れる価値があります。
村の神社が地域住民の支えにより成り立っています。
頤氣神社(いけじんじゃ)。長野県長野市小島田町頤気沖。式内社(小)論社、旧村社。主祭神:荒田別命 (通称 頤氣神)配祀:建御名方命 事代主命資料によると、創祀年代は不詳。更級郡池郷鎮座の式内社・頤氣神社の論社の一つ。祭神は荒田別命。通称を頤氣神というらしい。崇神天皇の御子・豊城入彦命の四世孫にあたる人物。伝承によると、大化三年(647)、蝦夷地への前進基地として越後渟足柵磐舟柵を設けた頃、千曲川沿いの川中島平池郷を開拓し、人々の産業を助けた神。永禄年間(1561)の川中島合戦の際に、当社周辺は戦場と化し社殿等を焼失したため、近傍に仮宮を建て、後年、古社地に再建された。だが、寛保二年(1742)、千曲川の大洪水により流出。常然寺境内の天神宮を仮宮として祀り、寛政元年(1789)、再度、古社地に再建。しかし、享和二年(1802)、大雨による大洪水によって流出。文政八年(1825)に再建されたのが現在の本殿。とあります。
地元の人は「いけじんじゃ」と呼ぶようです。江戸時代中期に小島田村の産土神としてこの地に建立されたようです。1750年頃までに松代藩が千曲川水系を大改造し、犀川から千曲川に流れ落ちる多数の河川の流れを変更して農業用水に変えました。この一帯は18世紀中ごろまでは千曲川河畔の広大な湿地帯の一部でした。河川流路の改造と用水路建設にともなう干拓と土地改良で、この辺りには肥沃な水田や畑作地が開かれました。いき神社は近隣には古からあったようですが、現在地に勧請・創建された年代は不明です。江戸前期までは湿原で千曲川の増水で氾濫原となるので、このあたりでは自然堤防の高台にしか集落と寺社はなかったはずです。したがって、江戸中期に集落の開闢とともに創建されたものと推測されます。祭神はイキノカミ、タケミナカタ、コトシロヌシだそうです。このうちタケミナカタとコトシロヌシは、出雲から大和王権の神々に追われる形になった神々(諏訪神)です。延喜式内の神社ですが、「いきのかみ」については公式の説明はないようです。頤という漢字は、一般に「あご」を意味しますが、「非常に大切に扱う」という意味があるそうです。あらゆる神々を大切に敬うことを象徴する汎神論的な神(象徴)なのかもしれません。
いき神社千曲川を挟んで松代と小島田の2ヶ所にある。小島田の方が小さいが、千曲川沿いにあり気持ちが良かった。
村の神社を地域住民が支えています。
例大祭です。
| 名前 |
頥気神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/07sarashina/11094.htm |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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頤気神社のケヤキ読み方:いけじんじゃのけやき文化財指定:県指定天然記念物学名:Zelkova serrata樹齢:不明樹高:不明幹周:9.2m施設:駐車スペースあり巨木の世界 小山洋二。