武田流築城術の魅力!
牧之島城跡の特徴
武田流築城術の特徴が鮮明に分かる遺構が魅力的です。
丸馬出や枡形虎口など見応えのある城跡が広がっています。
高台からの千曲川の絶景が楽しめる贅沢な場所です。
土塁と堀の遺構がよく残っていて見応えあり、もう少し草刈りしてあれば最高だ。
現地案内板によると永禄9年(1566年)武田信玄が越後に対する警護に馬場信房(信春)に築かせた。武田氏滅亡後、上杉景勝の属城となる。慶長8年(1603年)海津城主松平忠輝は家臣松平信直を在城させたが元和2年(1616年)忠輝改易とともに廃城。城は南、北、西の三方を犀川がめぐり、東部には堀を巡らせている。南東側から三日月堀、丸馬出、空堀、千人桝、土塁の西側に本丸、本丸北に桝形虎口と水堀を挟んで二の丸、西側に空堀となる。未確認ですが大手口は丸馬出しの東側とのこと。北側道路沿いの丸馬出付近に城案内板があり駐車可能のようでしたが空堀の橋修復中でしたので駐車してません。案内板は他に神社北側道路沿いと本丸、二の丸間水堀付近にもあります。甲州流といわれる遺構をよくとどめている良い城にまた出会いました。平城で散策楽でした。
武田流築城術!丸馬出、三日月堀、枡形虎口、土塁、綿密で丁寧な作りに感動です。
城跡の東、駐車場としても利用できる平地が馬出し跡です。土塁と空堀に囲まれた形状はその形が良く残されています。
城跡東側の丸馬出のなかに駐車できます。水を湛えた三日月堀が見られます。東へ進むと大手脇が竪堀のように剔られています。丸馬出と本丸の間は深い堀切があり、通り抜けできません。県道から廻り、神社のある本丸土塁を進むと本丸の枡形虎口に辿り着きます。本丸の面積は広く、周囲を復元された?土塁で囲われています。本丸の南北をみると南北が河岸段丘で急斜面なのが確認できました。二の丸方面へは北側の虎口と堀を抜けて進みます。草ぼうぼうですが本丸との間の幅広い堀切が見られました。最後に車を東へ走らせ、お寺を過ぎると、別の沢で削られ急坂になっていました。平坦で陸続きに場所は南東くらいしかない感じでした。
コンパクトながら、整備されていて、堀や土塁も確認でき、見応えがあります。
他の方が書いているように中世城郭好きにはなかなか貴重な城跡となります。遺構が復元されていますし車でも来やすいのでお勧めです。
別名琵琶城とも。前身は普光寺の場所にあった香坂氏の牧城で、永禄5年(または9年)に武田信玄が馬場美濃守に命じて現在の場所に新たに築城したと伝わる。三日月堀や千人桝形など甲州流の縄張り技法を今に伝える。甲越紛争においては川中島攻略の前線基地として、武田滅亡後に天正壬午の乱が勃発すると、上杉景勝は芋川親正を城将として小笠原貞慶に備えた。戦国時代末期まで改修が続けられた貴重な中世城郭跡であり、伊那大島城と共に信濃で三日月堀が現存する城郭マニア必見の城である。
こじんまりしてますが、土塁や空堀が残っています。ただし橋は、劣化のため通行止めとなっています。
| 名前 |
牧之島城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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「牧之島城(まきのしまじょう)」は、戦国時代に武田信玄の命で、当時の深志城主「馬場美濃守信房」が築城した城と言われています。信濃川の支流「犀川」がUターンするように大きく蛇行し、残された半島状地形の上に造られた天然要害の城なのですが、土塁や堀など、復元ですがその形状がはっきりとわかり、随所に築城の技法が見られるなかなか魅力ある堅固な城跡です。現在残っている遺構から分かる事は、大きく二分されていて「水堀」を隔てて南側に本丸、二の丸を置き、北側には桝形を配して本丸の東と北にそれぞれ「人桝」と呼ばれる枡形虎口があります。東の虎口は人桝から木橋を渡って「丸馬出し」を設け「三日月堀」で囲い、本丸脇には「隠馬出し」もある。木橋の架かる深い「空堀」の北側は張り出しがあり、「櫓」があったと思われます。意外に広く結構見応えあります。全貌までは現状からは理解しにくいですが、現在「県道12」が通る地域に城下があったと思われ、その辺りまで城郭があったのかも知れません。「牧之島城」となってからは、越後上杉からの守り、安曇野から善光寺平に繋がる街道を監視・警備する拠点として、代々、香坂氏(高坂氏)が居城としていた牧城を改修して築城しています。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、上杉景勝が牧之島城を奪い「芋川親正」に守らせたが、慶長3年(1598年)上杉氏の会津転封により移動した。慶長8年(1603)松平忠輝が松代城主となると家老を置いて守られせたが、元和元年(1615年)の一国一城令によって廃城となる。牧之島城の概要築城年:1566年(永禄9年)築城者:武田信玄(馬場信房に命じて修築した)主な遺構:曲輪、土塁、堀(三日月堀など)「丸馬出」文化財指定:長野県指定史跡武田流築城術:本丸の東には馬出が設けられ、武田氏ゆかりの城郭の構造を今に伝えています。土塁の上に石碑がありました。ここには築城主の名が刻まれていて、「馬場信房之城跡」と書かれています。男爵「真田 幸世」書とあります。大正4年11月に寄贈された石碑です。真田 幸世(さなだ ゆきよ)明治3年2月26日(1870年3月27日)~昭和23年(1948年1月12日)日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲三等。爵位は男爵。学習院出身。貴族院議員、日本赤十字社常議員などを歴任。