昭和の空気、弾薬庫探訪。
手安弾薬本庫跡の特徴
昭和7年に構築された旧日本陸軍の弾薬庫跡です。
コンクリートの鉄骨が剥き出しで、歴史の重みを感じられます。
南西諸島の重要な軍事拠点だった弾薬庫の保存状態が良好です。
【なかなかに迫力がある!!!!】地元の方に、せっかくだから行ってみれば?と勧められたので、行ってみることに!自分で電気をつけて、帰りは自分で消す、セルフな感じが、奄美大島らしくていい(^^)コウモリがいたり、ハブがいそうだったり、独特の雰囲気だったり、と、かなり迫力があります。息子達もなかなかビビっていました。大人だって、フツーに怖い😆絶対、とは言えないですが、もし時間があれば寄ってみてもいいかも!5分〜10分でフラッと見れるので(^^)
当時の空気を体感出来ます。多少なりとも保存で修復されてますが、学習にはとても良かったです。
はいどうも日本一周旅したYoutubeやってる(名前はジュンジュン)です奄美に来たので弾薬庫捜索まるでドラクエのダンジョン電気つけてぐるっとまわったらそこらじゅうにドラキー出現造りはしっかりしてたから崩壊はしないだろうが寒くて不気味だった。
奄美大島南部の瀬戸内町にあります。国の指定史跡です。大量の弾薬が保管されていたそうで、終戦で弾薬は海に捨てられたそうです。照明は各自でつけます。見る価値はあります。
見学所要時間3分~比較的気軽に訪問できる戦争遺構ですが、海沿いの主要道路から入る道はちょっと狭いので、大きな車だと大変かも。自動車教習所事務所の脇にあります。出入口は2か所。中でつながっており、通り抜けできます。電気を自分でオンオフして見学するスタイル。入れるのは通路部分のみで、倉庫部分は危険のため立ち入り禁止であり、のぞき込むだけになります。
教習所の事務所の正面にあります。教習所の方にひと声かけて車を停めさせてもらいました。無料で見学でき、照明は自分でつけて帰りに消す方式です。戦時中は弾薬貯蔵補給基地として厳戒態勢がとられ、地元の人もこの壕の存在を知らなかったそうです。
手安弾薬本庫跡(奄美大島要塞跡)〒894-1531 鹿児島県大島郡瀬戸内町手安540奄美大島南部には、太平洋戦争の痕跡が残っています。太平洋戦争末期には、沖縄への前進基地や本土防衛の最前線として位置付けられ、奄美大島南部と加計呂麻島には旧陸海軍の軍事施設や部隊が整備・配備されました。終戦後、奄美大島は沖縄とともに米軍の統治下に置かれ、本土復帰を果たしたのは8年後の昭和28年(1953年)です。この弾薬庫跡は、案内板によると当時の弾薬庫としては珍しく、規模や構造が日本で最も優れた施設だったとされ、鹿児島大学による学術調査も行われています。なお、弾薬庫内は崩落防止のため立ち入り禁止となっており、手前から中を覗く形で見学することになります。訪問日は2024年11月9日、案内板のようなものもなく、右折する場所がわかりづらいなと思います。●旧陸軍弾薬庫跡この弾薬庫跡は、旧陸軍により昭和七年に構築完成され、戦時中は南西諸島及び南方防衛の海陸空軍弾薬貯蔵補給基地として厳戒体制がとられていたため地元民はこの壕の存在すら知らなかった。終戦により、武装解除とともに大量の弾薬が運びだされ、当地沖の大島海峡にすてられて、初めて弾薬庫という事がわかった。この施設の内部は網の目に組まれた鉄骨を厚いコンクリートで固め、さらに銅板を張りめぐらせ空気が洩れないように、又、湿気防止のため周囲は空間を設け風圧に耐えるため二重壁の構造になっているなど、当時の弾薬庫としては珍しく規模、構造とも日本で最も優れた施設であったと言われている。弾薬庫見取図瀬戸内町。
教習所の事務所の正面にあります。教習所の方にひと声かけて車を停めさせてもらいました。無料で見学でき、照明は自分でつけて帰りに消す方式です。戦時中は弾薬貯蔵補給基地として厳戒態勢がとられ、地元の人もこの壕の存在を知らなかったそうです。
入る時は電気のスイッチを入れて、出る時はスイッチを消すようです。中はコウモリがいっぱいいて怖かったです💦
| 名前 |
手安弾薬本庫跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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このような施設に入るのは初めてでとても良い体験だと思いました。鍾乳洞や洞窟、廃墟とはまた違った怖さやワクワクが味わえました!ゲームの世界に入ったみたいな感覚で、コウモリやゲジゲジ、その他の生き物に会えたのも、童心に帰ったかんじでしたライトはセルフなので、消すのを忘れずに。